そろそろやめてCM(80’s)
あなたは日本の1980年代のCMを見たこ
とがありますか。当時のCMは現在よりも性別
役割分業の傾向が強い表現がたくさんありま
した。このページは、当時「コマーシャルの
中の男女役割を問い直す会」によって指摘さ
れてきたうちの「そろそろやめてCM」という
カテゴリーのCMを集めました。あなたは性別
役割分業の視点からみて、どの表現がそろそ
ろやめてほしいのか分かりますか。続きをよ
むを押すと当時の会報に記載された視聴者の
意見が見られます。
第一工業製薬『モノゲンユニ』(1984)
「独身時代の洗濯は」「まかせて安心わが女房」男は洗濯できなくて当然という考え方。その洗剤を使うとそんなに簡単に上手に洗濯ができるのなら、なぜ男が自分でしないのか?これではこの男は全く無能にみえる。女に対しても男に対しても失礼なCM。(清 No.1 p.6)
大正製薬『ヴイックスヴェポラッブ』(1984)
「パパこげくさいよ」「あーあ、ママのかぜ早くなおらないかなあ」(料理は母がすることであり)父子ではお茶もわかせないのが当たり前という主張がこめられている。(潤)これでは母親はうかうか病気にもなれない。女は病気になるな、ということか。(清 No.1 p.7)
第一生命保険『グランドライフ』(1984)
「お父さんはガンバルマン」男が働かねば家族は路頭に迷うという不安をあおりたてる形でCMを作っている。男は仕事、女は家庭という分業をやめたなら、男だけが重い責任を背負って「お父さんはガンバルマン」などと、悲愴に叫ぶ必要もなくなると思うのだが。(真 NO.1 p.7)
日本生命『ロングラン』(1984)
「不器用ですから、どうか幸せで」それにしても、男が家に帰って「メシ、フロ、ネル」としか言わなくても(無口)、家のことを全て女に任せて何もしなくても(不器用)、金さえ残せば、それでよし。男の愛情に不満を抱いてはいけない。くれない族などもってのほか、とでも言うのだろうか。(真 NO.1 p.8)
差し替えられたCM
武田薬品工業『ながいき』(1984)
(同シリーズに女性が「亭主の長生きは女房
のつとめです」と言うものがある)
「亭主の長生きは女房のつとめです」亭主であろうと女房であろうと、長生きはお互いの願い。それを、男の長生きだけを女房のつとめというのは、どう考えてもおかしい。(清 No.1 p.8)
ハウス食品工業(現ハウス食品)
『汁の里』(1984)
「嫁さんおるみたい」味噌汁と嫁さんを即座に結びつける発想は、料理・家事=女という役割意識に依拠したCMである。(No.1 p.9)
リプトン『リプトン紅茶』(1984)
女はいつもサービスするものとして描かれる。また、男はそれを当然と思い、お礼も言わずにサービスを受けるというのは、いくらなんでもひどすぎる。(真 No.1 p.9)
キリン『シーグラムエンブレム』(1984)
「男が、仕事です」「男が、仕事です」の続きを考えてしまう。「だから、家庭は女です」と言っているような気がしてならない。(No.1 p.10)
東芝『クリーナー』(1984)
「東芝クリーナーはおいていけよ」娘が結婚するというのに、娘=掃除をする人、というぐらいにしか考えられていないところがおかしい。(剛 No.1 p.10)
ライオン『バファリン』(1984)
身辺自立のできていない男の典型。身支度は自分でするべき。これで有能な仕事ができるのだろうか。(万 No.1 p.13)
津村順天堂(現ツムラ)『バスピカS』(1984)
風呂洗いは女性の仕事というイメージを視聴者に植えつける。(昌 No.1 p.13)
味の素『バラエティギフト』(1984)
(同シリーズに男性が「やっぱり料理は奥さん
です」というナレーションが入るものがある)
性別役割の押しつけ。(清 No.1 p.13)
丸大食品『GU-GU ガンモ』(1984)
「ママと作ったお料理は」よい女(よき母)=豪華な料理づくりというイメージ。(昌 No.1 p.13)
はごろもフーズ『シーチキンお料理番』(1984)
「バンバン、お料理してください」男性がエプロンをつけて、台所で料理しながら商品の説明をする、という風に変える。(昌 No.1 p.13)
タイガー魔法瓶『マイコンジャー炊飯器
炊きたて』(1984)
「ふーん」いっそ、男女を入れ替えてつくると面白いのでは。(潤 No.1 p.13)
資生堂『BECAUSE(ビコーズ)』(1984)[2]
「男には、わけがある」男=ロマン、仕事、くつろぎ、遊び=外のイメージ。(昌 No.1 p.13)
日本たばこ産業『キャスター スペシャル』
(1984)
「男の、インターバル。」男=ロマン、仕事、くつろぎ、遊び=外のイメージ。(昌 No.1 p.13)
キリンビール『缶生ビール』(1984)
三菱自動車工業『ギャランΣハードトップ』(1984)
「トップを知った男のハードトップ。」男=ロマン、仕事、くつろぎ、遊び=外のイメージ。(昌 No.1 p.13)
日本コカ・コーラ『リアルゴールド』(1984)
[2][3]
「サビるな、男よ。」[2]「男は元気。」[3]「オレ、元気主義」男だけをことさら取りあげることによって「男」と「女」を差異化し、現代社会通念との複合作用によって、男女差別を助長する効果をもたらす。(剛 No.1 p.14)
月桂冠『TIME』(1984)
ストローを差し込むともだえるというのは、あまりにもセクシャルだとあきれる。これはもうはっきりとセックスをイメージしている。(No.1 p.14)
三菱電機『Mr.かくはん』(1984)
洗濯機にミスターと名付け、「力強く洗う」と言う。力強さは男の専売特許なのだろうか。次に、「待ってたよ、ミスターかくはん」と流れる歌と、それに合わせて、裸の女性が胸を押さえる場面。女性は男性を待っている。更に言えば、犯されるのを待っている、というイメージを伝えているようで気になる。(真 No.1 p.14)
花王『ニュービーズ』(1984-)
「いつのまにか白さと香りにあこがれている」女の役割を幼い女の子に強要するのは不愉快なCM。こまっしゃくれたガキの主婦ぶりにいつも目をそらす。(晴 No.2 p.6)
松下電器産業(現パナソニック)『愛妻号』
(1986)
洗剤のCMに登場する、母親と幼い姉妹については、何度か槍玉にあがっている。娘は主婦予備軍としてせっせと母親を手伝う。男の子は汚し役で、女の子はお手伝い。決して逆にはならない。(真 No.3 p.10)
味の素『マヨネーズ』(1985)
「妻、ヨシ!」最後の「妻、ヨシ!」というセリフと指差しは、妻をまるでメイドか何かのように扱っているようで、男の思い上がりもはなはだしく不愉快である。(清 No.2 p.6)
花王『ハイターE』(1985)
「漂白してほしいな」妻が「イヤだ」と言ったからといって、洗濯物を放り出すことはないと思う。(あ No.2 p.6)
ネッスル(現ネスレ)『ネスカフェ
ゴールドブレンド』(1985)
「違いがわかる男」女でも違いがわかるはず。(薫 No.2 p.7)
象印マホービン『マイコン炊飯ジャー』(1985)
(同シリーズに男性が「うまいなや、ご飯が
一番」と言い、女性が「私は何番」という
セリフがある)
何度も何度も繰り返して見せられていると次第に不愉快になってきて「いいかげんにしろ!」と言いたくなる。(No.2 p.7)
ライオン『ママレモン』(1985)
(同シリーズに奥から子どもが「母さん、
始まるよ」と呼び、母親は片づけを終わ
らせるものがある)
子どもは奥でテレビを見ていて、母親を手伝う気がない。母親が見たいテレビがあるのなら、子どもも手伝えば早く片付けられる。(あ、裕 No.2 p.8)
グラクソ・スミスクライン
『コンタック せき止め』(1985)
「夜の苦しい咳に、妻の愛とコンタックせき止め」病気の夫を献身的に看病する妻の姿を感動的に描き上げたつもりだろうが、反対に妻が寝込んだ場合、夫はどう行動するだろうか。時代を江戸時代に設定することによって妻の愛を無理なく謳いあげ、あわせて役割押しつけの批判をかわそうというつもりだろうが、女の男に対する一方的な献身・奉仕を愛の名において要求する時代錯誤的な男の身勝手をかえって浮き立たせる結果となっている。(万、清 No.2 p.8)
ハウス食品工業(現ハウス食品)
『冷やし中華』(1985)[1]
一昔前の雰囲気。女が召使いのように男につかえている。なぜ男が食べている時に、女が団扇であおがなければならないのか。(恵、千、剛 No.2 p.8)
[1]若いペアが遊びに来て、二人揃って素麺をごちそうになり、香山美子が団扇であおぐという描き方をしている。(清 No.2 p.8)
ハウス食品工業(現ハウス食品)
『ザ・カリー』(1985)
スプーンをタテに持って食卓をたたきながら「かあちゃん、ごはんまだ!」と叫んで、料理が運ばれてくるのをただただ待つ子供が、そのまま大きくなったような気持ちの悪いイメージがこの夫にはある。(中略)ほんの少しだけ画面編集を変えて、前半部分すなわち「女が作る」というところを見せないCMも流されているが、今となっては姑息である。(剛 No.2 p.16)
ハウス食品工業(現ハウス食品)
『ジョリエール』(1984)
ハウス食品『ザ・カリー』(1985)とほぼ同じ視点で描かれている。(No.2 p.16)
武田薬品『パンビタン』(1985)
(最初に女性が「休みの日はいつも寝てばっ
かりなの」と言う。画面替わって女の子が
「近頃元気になりましたねぇ。オホホホホ」
と笑う。これは差し替えられたCMと思われる)
小さな女の子を完全な"ミニ妻"として描いていて、たとえようもなく不愉快で、気持ちが悪い。(清 No.2 p.16)
旭松食品『生みそずい』(1985)
(同シリーズに朝、寝床にいる夫を妻が
「会社に遅れますよ」と起こすが、なかな
か起きず「今朝は生みそずいよ」という
と起き上がるというものがある)
たかがインスタントみそ汁に大げさな…。朝でも昼でも夜でも、食べたければ自分で作ればいい。(き、綾 No.2 p.16)
サンヨー食品『サッポロボーイ』(1985)
[スペシャル]
男の子用と女の子用と、商品を分けてつくること自体そもそもおかしい。CMの画面も、おまけを強調して男の子用のときはプラモデルなど"男っぽく"、女の子用はピンクの色調でキッチンセットなど"女の子っぽく"つくってある。まんが番組のタイムCMなので、子どもへの影響も考えるとこわい。(薫 No.2 p.17)
江崎グリコ『グリコ』(198?)
グリコもすでに同じ商品を「男の子用」と「女の子用」とに分けて売っており、そういう意味ではこちらが先輩格といえるが、当該商品のCMは流されていないようである。
大京観光(現大京)『ライオンズマンション』
(1985)
「明日をになう子ども達によりよい住まいと環境を」画面は、野球、ラグビー、水泳、マラソンと、元気いっぱいにスポーツする子ども達。画面に映しだされる子ども達は男の子ばかり。子ども達の中に女の子がすっぽり抜け落ちていることを制作者は全く気がついていない。(清 No.2 p.17)
積水化学工業『セキスイハイム ニューアバンテ』
(1983)(このCMと同シリーズ)
せっかく画面に女の子を登場させて父親と対話させているのに、母親はあいかわらず台所→紅茶の給仕役と、マンション業界のCMはどういうわけかことごとく旧態依然、古色蒼然なものばかり。(清 No.2 p.17)
旭化成『ヘーベルハウス』(1985)
「染めて下さい、あなた色に。」「女は男の思いのままに染められる」とする差別思想丸出しのコピーをかぶせて悦に入っている。(清 No.2 p.17)
郵政省『郵便局 電子郵便』(1985)
「私、この人のお嫁さんになりまーす」女の子だけに小さい時から花嫁願望を植えつけることが、男のあからさまな女性差別であることを、もうそろそろ日本の男達は気づいてもいいはずである。(良、清 No.2 p.18)
リコー『マイツール』(1985)
「女にとって、大人になるってことは、男のつらさが見えてくることかしら」「男、わかってあげる」男は女のつらさをわからなくていいのか。(き、清 No.2 p.18)
丸大食品『丸大ロースハム』(1985)
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」子どもにはもちろん男、女があるのだから、男の子だけの登場はいかがなものか。(武、清 No.2 p.19)
丸大食品『丸大ロースハム』(1986)
「佐藤さんの奥様へ、健康のバトンタッチ」女であれ、男であれ、人はそれぞれに自分の名前を持っている。一人の人間に、いわば、"所有代名詞"をかぶせて「~~さん(男)の奥さん」と"役割"で呼ぶことの異様さは、女と男を入れ替えてみれば男の目にも明らかなはず。夫であれ、妻であれ、人は誰の所有物でも、所属物でもない。(清 No.3 p.41)
三菱電機『オーブンレンジ』(1986)
「料理で愛をのがしているあなた。このボタンを押して下さい。料理の手順を光が教えてくれます」「料理ごときで、この愛のがしてなるものか」料理=お嫁さんのイメージ。その上、女二人を競わせるというのが不愉快。(昌 No.3 p.8)
サントリー『サントリーレッド』(1986)
一人旅をする夫とおいてけぼりの妻のワンパターンCM。(万 No.3 p.9)
タイガー魔法瓶『マイコンジャー炊飯器
炊きたて』(1986)[2]
「僕にピッタシ」そんなに「僕にピッタシ」なのなら、食べて笑うだけでなく、自分で炊いて女にも食べさせたほうが、より「ピッタシ」感が出せるのでは。(昌 No.3 p.10)
コダック『コダカラー』(1986)
「心配!」女が男を抱きかかえたカップルをことさらに哀れっぽく描いて「心配!」と指摘。「コダックを使う・使わない」にかこつけて"女性上位"を揶揄している。男が女を抱きかかえるという図には、男が女の生活を支えてやるという意味が含まれている。女の経済的従属性の原因を掘り下げることなく繰り返されるこのような図式の表現が、反動的な役割を果たすだけだということは自明であろう。(剛 No.3 p.12)
大阪ガス『炊飯器 マイコン強火炊き』(1986)
「おかえりなさい」女は家で男の帰りを待ちながら、ご飯を用意するもの、ときめつけているようだ。エプロン姿は、女=料理する人、という思想をあらわしていて、不愉快。(敏、清 No.3 p.12)
カシオ計算機『データバンク』(1986)
会社の会議中らしいが、一同男ばかり。14~5人の中に女が一人もいないのはどういうことか。(幸、敏 No.3 p.13)
フマキラー『ベープマット』(1986)
あきらかにこれは、テレビCMの中で今まで女がさせられていた役に男がそっくりそのまま入れ替わったものと言える。(清 No.3 p.14)
大日本除虫菊『金鳥 ゴン』(1986)
何となくイヤで、気分の悪くなるCM。女の働く意識を全くバカにしたような感じ。それも、女に女を非難させているところが不愉快。(昌、多、清 No.3 p.15)
白子『白子のり』(1986)
職場を舞台に1人だけ白子のりを知らない部下を登場させて、その部下を伊東四朗が威圧、あるいはシカト(無視)するというパターンが続いていた。(清 No.4 p.7)
松下電器産業(現パナソニック)
『キャニスターV』(1986)
「親のめんどうも見てー」女だけに親の面倒、すなわち老親の介護、老人福祉を担わせよう(押しつけよう)という視点が不愉快。(千 No.4 p.8)
ライオン『ピンキー』(1986)
女性が洗濯用合成洗剤のCMに出演するのは、ありふれた従来パターンだが、アグネスさんが結婚した途端に主婦役というのは少し酷いのでは。(清 No.4 p.9)
「今日も一日お疲れ目さま」全員男で、女は一人もいない。女の人も、ちゃんと仕事を持っている人がいるのだから、女の人がまざっているはず。混合にすべきです。(敏 No.3 p.14)[3]街頭、ゴーカート篇が流されているが、あいも変わらず全員男。女は1人もいない。(清 No.4 p.10-1)
日本電信電話『カエルコール』(1986)
結局は「男は外で仕事、女は家で家事」「私作る(そして待つ)人、僕食べる人」のパターンに変わりない。(清 No.3 p.44)
龍角散(1986)
「買っておいてあげて下さい。」なんて押しつけがましいんでしょう。会社でも「タバコ買ってきておいてくれ」とか言ってるんでしょうね。(万 No.4 p.13)
イギン(1986)
「愛を取り戻すイギンのブラック」シンデレラコンプレックスか何か知らぬが、女をひたすら待つ女として描いた、まるでハーレクイン・ロマンスのようなCM。女はただ待つだけ。男が戻って来るか来ないかは、男の気持ち次第。決めるのは男。「待つ女」というのは、結局は男にとってとても都合のいい女なのだ。(清 No.4 p.13)
日本電気『きれいホン』(1986)
いじらしく、ひたすら耐えて待つ女の典型。前項「イギン」と同様、女に対して常に支配者でありたいという男の身勝手な願望にしかすぎない。(清 No.4 p.14)
象印マホービン『マイコン炊飯ジャー』(1986)
「いろいろ炊けるの女です」画面に6人の女が炊飯器を下げて登場するが、そのうちの1人はセーラー服を着た14~5才の女の子。(清 No.4 p.14)
日本生命保険『JUST BIG・YOU』(1986)
中高生の男女を登場させて、女子生徒に男子生徒の身の回りの世話(繕いもの)をさせる。(No.4 p.15)
ブルボン『アーモンド オー』(1986)[2]
中高生の男女を登場させて、男子生徒はスポーツをし、女子生徒はそれを陰ながら応援する。(No.4 p.15)
ニチレイ『中高生のお弁当』(1986)
「あげます」女を物(食べ物)同然に扱う発想がある。(清 No.4 p.15)
白元(現白元アース)『パラゾール ノンカット』
(1986)
女の子の口調が庇護されるのを期待する媚びがほの見えて気分が悪い。まるで「私に悪い虫がつかないように守ってね」と言っているように聞こえる。きっと、おませな口調がそんな風に聞こえてしまうのだろうが、このセリフどうにかしてほしい。(真 No.4 p.15-6)
ライオン『アクロン』(1986)
「母さんが洗えばセーターかろやか」画面ではセーター姿の父親、男の子、女の子の3人が軽やかにタップを踏んでいる。ふさふさの毛をした子犬も一緒にタップを踏んでいる。母親の姿は画面に登場しない。
ユニ・チャーム『チャームナップミニ』(1986)
20年前ならいざ知らず、今どき初潮を迎えて泣く子がいるでしょうか。生理は、そんなに不安や悲しさをもたらすものでしょうか。今の子なら、むしろ成熟の証として誇らしく思うと思うのですが……。(立松(女性) No.4 p.16)
呉羽化学工業(現クレハ)『クレ ポリメイト』
(1986)
「アッパレ、ピカピカママ」家の中を常にピカピカに磨きあげているのは女の務め、という強迫観念を押しつける、馬鹿馬鹿しいまでに不愉快なCM。(清 No.4 p.35)
アース製薬『セボン』(1986)
芳香剤と洗浄剤とが一緒になったことを「結婚した」と表現して、そのために結婚衣裳の男女を登場させたところまではわかるが、なぜ男が芳香剤の役で、女が洗浄剤の役をしなければならないのか。ウェディングドレス姿でせっせと掃除をさせられるというのは、結婚=主婦=家事役、という役割分業イデオロギーを見事に象徴するCMといえる。(清 No.4 p.35)
徳島製粉『金ちゃんヌードル』(1986)[2]
男中心の不愉快なCM。手術中の医師ではあるまいし、自分の額の汗ぐらい自分でふいてほしい。[2]女性の上役が男性の部下をどなりつけるというCMが同時期に放映されている。(真、清 No.4 p.38)
大正製薬『サモン内服液』(1986)
2人のセリフやビートたけしの表情がおかしいのでついつい見てしまうが、何度も見ているうちに、このCMは働く女を揶揄していると気になってきた。オフィスラブを匂わせ、まるで女は仕事の場に色恋沙汰を持ちこむと言っているみたいだ。また女にだけ、セックスを思わせるような姿態をとらせるのは不愉快である。(真 No.4 p.38)
マスダヤ(現増田屋コーポレーション)
『ルミちゃん』(1986)
人形遊びは女の子という図式をやめて、両方一緒に遊んでいるCMにすればいいと思う。人形をおんぶしている男の子を見て、あれ買ってという男の子もいるだろうし、ミルクを飲ませている男の子を見て、うちと同じだねという父親だっているかもしれない。楽しいと思うな。(真 No.4 p.39)
富士写真フイルム(現富士フイルム)
『フジカラーHR』(1986)
女性を、常に男性に見られるものとして扱う視点から描かれたCMである。(尚 No.4 p.39)
日東化学(現三菱レイヨン)『SOFT99』(1986)
(同シリーズに男性が「ついてくるかい」と
言うと、女性が「ついていくわ」と言って
、体をもたせかけるものがある。カーワッ
クスを買うと、車のルームフレッシュナー
がおまけについてくる、というCM)
「ついてくるかい」「ついていくか」女はいつも男の付属品なのか? 女はいつまでたっても男に依存した生き方しかできないのかと思われる。女が結婚するのは、男についていくためではない。(裕 No.4 p.39)
東天紅(1986)
「試合に負けた時、そこに君がいた」男がアメフトの試合に負け、その時はじめて女の存在に気づいて結婚する。(No.4 p.39)
日清製油(現日清オイリオ)『日清サラダ油』
(1986)
「男心を一本釣り」彼が試合に出かけるので、彼女(女子高生)がフライをつくる。内助の功、女の武器は料理、というCM。(No.4 p.39)
ロート製薬『新パンシロン』(1986)
主婦が後ろに控えていて酒を注いだり、料理を運んだり。昔の女性の典型的なシーン。(き No.4 p.40)
ヤヱガキ酒造『八重墻』(1986)
「私はあなたの手づくりです」女は男の思いのままになる、というメッセージを盛りこんだCM。(No.4 p.40)
松下電器産業(現パナソニック)『マイコン
直火炊き』(1986)
「七時に食べたい時は何時に合わせるんだっけ」「七時だったらシ、チ、ジ」まるで女は頭が悪い、とでも言わんばかり。(No.4 p.40)
<ここまで>パロマ『ケイコのガステーブル』(1986)
家事=女の役割。
小林製薬『アンメルツ』(1986)
(同シリーズに父は居間で新聞を読んでいて、
母は台所で仕事、息子は受験勉強、娘が商品
説明をするものがある)
見事なまでの性別役割分業である。(No.4 p.40)
国土建設ピーコン(1986)
「夫が建てる妻の家」ここは是非、女性の声で「私が建てた私のおうち♡」と言ってほしい。そうすれば、この女性の幸せが、リラックスしたゴロゴロ転がる姿から実感となって伝わってくるし、女はやせなきゃいけないとか、お行儀よくとかの世間の常識をあざ笑う、ユニークなCMとして高く評価されると思います。(真 No.9 p.15)
興和新薬(現興和)『QPコーワゴールド』(1989)
「あの人が言うように、仕事と家庭と両方って、無理になってきたのかなあ」女だけが家事を担っているのだと想像できる設定。そもそもそのことが変であるのに、なぜ仕事と家庭の両立が無理になってきたという論理になるのか。(裕 No.5 p.10)
原ヘルス工業『バブルスター』(1989)[1]
男も風呂に入るのに、なぜ一糸まとわぬ姿にさせられるのは女ばかりなのか。女を性的玩具としてみなす表現であり、女にとってまことに屈辱的。(ゆ No.5 p.10-1)
日本たばこ産業『湯友』(1989)
明らかに性を物品として扱っている。桃の割れ目をなで上げるシーンはレイプシーンそのもの。女の裸を使うことを目玉としたCMで、コンセプトそのものが性差別。(富 No.5 p.11)
ワーナー・ランバート(現ファイザー)
『バブリシャスガム』(1989)
女性を体型で差別し、商品化(品物化)している感じがとても不快。子ども向けの商品で、子どもを使っての差別意識の表現である点が特に嫌です。(多賀 No.5 p.12)
雪印乳業(現雪印メグミルク)
『スライスチーズ』(1989)
「大きくなったら、何になりたい」「およめさん」小さい時から女と男の性役割を固定化し、可能性を摘んでしまう。(真 No.5 p.12)
クリナップ『クリンレディ』(1989)
「お母さんの夢がかなったねえ」システムキッチン=お母さんの夢というフレーズに問題あり。例によって父親は何もせず、椅子に座って、料理するのは母親という固定観念に満ちている。(史 No.5 p.13)
日清食品『シーフード焼きそば』(1989)
「お味はイカに」女を食べ物扱いした不快CM。カメラアングルもポルノチック。典型的な痴漢CM。(清 No.5 p.13)
ワコール『ヌーディ』(1989)
画面の中の男は女を見ないが、あきらかに男の視聴者の視線を釘づけにすることを狙って作られたCM。スマートに描かれてはいるが、見る男と見られる女という構図に変わりはなく、男の覗き見CMの一種。(清 No.5 p.14)
ワコール『胸に咲くブラ』(1989)
ハラスメントCM
前回の"花金ブラ"同様、男の覗き見(視姦)的視点、あるいは誘惑者としての女性という視点が感じられ、職場で働く女性にとっては不快なCM。職場を舞台にしたこういうCMはやめてほしい。(清 No.5 p.14)
日本たばこ産業『リベラ・マイルド』
(1989)[2]
文字というモノの一部、しかも文字であるからには、読まれるために注目させられる。その文字というのがリベラ=自由、ってのは笑わせる。女をエンターテインメントの道具にしておいて得られる自由って、何なのかしらね。(ふ No.5 p.24)
サントリー『サントリーオールド』(1989)
「いつもの支度」どうして妻がたまに出かけるのに、こんなに気を遣って小さくならなあかんのか。(寿 No.5 p.15)
興和新薬(現興和)『QPコーワゴールド』(1989)
現在の妻の不満を的確に表している、などの、女の現実を描くことによって、男女の不平等を訴えているという意見もあった。(清 No.5 p.16)
久光製薬『サロンパス・ハイ』(1989)
棚に衣料品を並べる女子社員は、ことさらにお尻を突きだすような姿勢で描かれており、それを男子社員が覗きこむ。職場を舞台にして、女性を性的好奇の対象として描くCMは、二重、三重に女性を侮辱したもの。このシーンは全く不要。(清 No.5 p.17)
三菱電機『霧ヶ峰』(1989)
三菱系企業はどうなっているのか。三菱石油のガソリンスタンドの広告も水着美女がポーズ。三菱カーエアコンも巨大看板でトップレスギャル。(岩間ゆう子 No.5 p.17)
缶チューハイは全くの添え物。女の性の商品化も、ここに極まれり、といった呈。[2],[3]ジョン・トラボルタが出演したシリーズ第1作から、現在放映されているものまで、全て女の裸体を登場させている。(清 No.5 p.23)
森永製菓『ハイチュウ』(1988)
女性の年齢、容姿差別CM。女であれ、男であれ、特定の階層、年齢の人をいじめ笑いするのは許せない。ユーモアでも風刺でもない。このCMを見る子どもたちは、女は年をとるとダメ、女の値打ちは若さとセックスで決まることを学んで成長する。(ゆ No.5 p.26)
芝翫香(1988)
『カメラ藝術』などのヌード写真によくみられるポーズで、「女性の美しさを表現した」とでも言いたいのだろうが、宝石のCMで茶の間に、それも昼間から放映する必然性がどこにあるのだろうか。(清 No.5 p.26)
理研ビタミン『マボ茄子』(1988)
「わたし食べごろ、今が食べごろ、アハン」女を食べ物扱いしているところが不快。(清 No.5 p.27)
サントリー『レゼルブ』(1988)
「何にもできないわたし」心はずむ新婚家庭を描いたつもりだろうが、女性の社会進出は今や時代の趨勢。男が外で働き、女は家でじっと待つ、という役割分業パターンはひと昔前のお話。(清 No.5 p.27)
P&G『パンパース』(1988)(1989)
小さい時から男の子用、女の子用と分けるのも考えものだが、男の子はブルー、女の子はピンクという色分けは全く不要。(清 No.5 p.28)
興和新薬(現興和)『QPコーワゴールド』(1989)
「ごめん」なぜ疲れ果てた妻が先に寝るのに「ごめん」などとお伺いを立てなければいけないのだろう。イヤイヤ、この家では、後まで起きていた方が家事万端を処理しなければいけない約束になっているのかもしれない、と思いめぐらせてもみるが、画面の様子からは、傍らでゴロ寝している夫の姿しか、どうしても浮かばない。ナレーションがまた不可解である。こんなに疲れていても、QPコーワゴールドを飲んで家事を一人で片づけなさいとでも言うのだろうか。
サントリー『NCAA』(1989)[2]
女性の身体が、不愉快きわまりない使われかたをしている。ポルノと何らかわりない。
ユニ・チャーム『マミー・ポコ』(1985)
どうして全員で踊り出すのか、まったく理解に苦しみます。
白子『白子のり』(1986)
「毎日の生活に根ざした白子のり」
ダイハツ工業『シャレード ブランシュII』(1986)
「あー、ビンビン響くぜ」
公共広告機構(1985)[2]
「ひとりで食事をする子供が増えている。」
雪印『ネオソフト』(1987)
「私がいないとねぇ、ダメな人よー」
エーザイ『スカイナー』(1987)
「早くよくなれ」
大鵬薬品工業『ソルマック』(1987)
「あっ、うさぎちゃんだ。一緒に飲もう」
サントリー『サントリーレッド』(1987)
「準備よろしく」
松下電器産業(現パナソニック)『ナショナル オーブン エレック』(1987)
「お母さんはお料理が上手です」
蛇の目ミシン工業『センサークラフト』(1988)
「ミシンも上手になってほしい」
興和新薬(現興和)『QPコーワゴールド』(1987)
「ねえ、今日は外で食事しよう。もう疲れちゃって、今から作る元気ないの。お願い。明日から、ちゃんと作るから」
大塚製薬『オロナミンC』(1984)
お茶、コーヒー、紅茶を飲むシーンにおいて、必ず女性が男性に作って差し出す。
高砂殿(1987)
椅子に座った女性を薔薇で囲む
バンタンデザイン研究所(1989)
塩野義製薬『新ポポンS錠』(1986)
P&G『チアーエース』(1987)(1分05秒まで)
※このページは『コマーシャルの中の男女役割を問い直す会 会報(WANミニコミ図書館 https://wan.or.jp/dwan/dantai/detail/60)
1,2,3,4,5,6,7,8,9号』(1985-95 PDF)、日本女性学会 第35号(PDF)を参考にしました。
なお、企業名からは株式会社を略し、当時の商号を記載し、商号の変更については(現~~)という形で記載しました。
()内のCMの放映年については1年ほど前後することがあります。