そろそろやめてCM(80’s)1
あなたは日本の1980年代のCMを見たこ
とがありますか。当時のCMは現在よりも性別
役割分業の傾向が強い表現がたくさんありま
した。このページは、当時「コマーシャルの
中の男女役割を問い直す会」によって指摘さ
れてきたうちの「そろそろやめてCM」という
カテゴリーのCMを集めました。あなたは性別
役割分業の視点からみて、どの表現がそろそ
ろやめてほしいのか分かりますか。続きをよ
むを押すと当時の会報に記載された視聴者の
意見が見られます。
味の素『ほんだし』(1981)
ほんだし女房(Hondashi wife)
味の素『バラエティギフト』(1983)
「女房の料理が一番うまい
(My wife's cooking is the best)」
東芝『優凍生』(1983)
「だんだんウチのやつに似てきよった
(She's starting to look like my wife)」
東芝『優凍生』(1984)
「お母ちゃん、2人おるみたい
(It's like having two moms.)」
東芝『優凍生』(1984)
サントリー『サントリーオールド』(1983)
「男の気持ちです(It's a man's feeling)」
トヨタ『新クレスタ』(1983)
「男は最高のものを独占したい。(Men want to
have the best things all to themselves.)」
アサヒペン『皮ぐつ用塗料スプレー』(1983)
「女の色、靴の色。(The color of a
woman, the color of her shoes.)」
アサヒペン『皮ぐつ用塗料スプレー』(1984)
トヨタ『新クレスタ』(1984)
「狼は走らない。男は狩りをしない
(Wolves don't run. Men don't hunt.)」
三菱自動車『ギャランΣハードトップ』(1984)
「トップを 知った男の ハードトップ。
(A hardtop for men who know what a top is.)」
日本コカ・コーラ『リアルゴールド』(1984)
「サビるな、男よ。(Don't rust, man.)」
日本コカ・コーラ『リアルゴールド』(1985)
「男は元気。(The man is fine.)」
大阪ガス『炊飯器 マイコン強火だき』(1985)
「いってらっしゃい(Take care)」
「おかえりなさい(Welcome home)」
武田薬品工業『ハイシーS』(1985-6)
「女性は明るい人類です。(Women are a
bright species of humanity.)」
興和『QPコーワゴールド』(1986)
「無理が続くと体の疲れが抜けないんだよな。
この頃。今日は休むか。そうもいかねえんだよな」
「If you keep pushing yourself too hard,
your body will never get rid of the fatigue.
These days. Should I take today off?
I guess that's not possible.」
『
』(1986)
「
(
)」
第一工業製薬『モノゲンユニ』(1984)
「独身時代の洗濯は」「まかせて安心わが女房」男は洗濯できなくて当然という考え方。その洗剤を使うとそんなに簡単に上手に洗濯ができるのなら、なぜ男が自分でしないのか?これではこの男は全く無能にみえる。女に対しても男に対しても失礼なCM。(清 No.1 p.6)
大正製薬『ヴイックスヴェポラッブ』(1984)
「パパこげくさいよ」「あーあ、ママのかぜ早くなおらないかなあ」(料理は母がすることであり)父子ではお茶もわかせないのが当たり前という主張がこめられている。(潤)これでは母親はうかうか病気にもなれない。女は病気になるな、ということか。(清 No.1 p.7)
第一生命保険『グランドライフ』(1984)
「お父さんはがんばるマン(Father is Work hard man)」
「お父さんはガンバルマン」男が働かねば家族は路頭に迷うという不安をあおりたてる形でCMを作っている。男は仕事、女は家庭という分業をやめたなら、男だけが重い責任を背負って「お父さんはガンバルマン」などと、悲愴に叫ぶ必要もなくなると思うのだが。(真 NO.1 p.7)
差し替えられたCM
日本生命『ロングラン』(1984)
「不器用ですから、どうか幸せで」それにしても、男が家に帰って「メシ、フロ、ネル」としか言わなくても(無口)、家のことを全て女に任せて何もしなくても(不器用)、金さえ残せば、それでよし。男の愛情に不満を抱いてはいけない。くれない族などもってのほか、とでも言うのだろうか。(真 NO.1 p.8)
武田薬品工業『ながいき』(1984)
(同シリーズに女性が「亭主の長生きは女房
のつとめです」と言うものがある)
「亭主の長生きは女房のつとめです」亭主であろうと女房であろうと、長生きはお互いの願い。それを、男の長生きだけを女房のつとめというのは、どう考えてもおかしい。(清 No.1 p.8)
ハウス食品工業(現ハウス食品)
『汁の里』(1984)
「嫁さんおるみたい」味噌汁と嫁さんを即座に結びつける発想は、料理・家事=女という役割意識に依拠したCMである。(No.1 p.9)
リプトン『リプトン紅茶』(1984)
女はいつもサービスするものとして描かれる。また、男はそれを当然と思い、お礼も言わずにサービスを受けるというのは、いくらなんでもひどすぎる。(真 No.1 p.9)
キリン『シーグラムエンブレム』(1984)
「男が、仕事です」「男が、仕事です」の続きを考えてしまう。「だから、家庭は女です」と言っているような気がしてならない。(No.1 p.10)
東芝『クリーナー』(1984)
「東芝クリーナーはおいていけよ」娘が結婚するというのに、娘=掃除をする人、というぐらいにしか考えられていないところがおかしい。(剛 No.1 p.10)
ライオン『バファリン』(1984)
身辺自立のできていない男の典型。身支度は自分でするべき。これで有能な仕事ができるのだろうか。(万 No.1 p.13)
津村順天堂(現ツムラ)『バスピカS』(1984)
風呂洗いは女性の仕事というイメージを視聴者に植えつける。(昌 No.1 p.13)
味の素『バラエティギフト』(1984)
(同シリーズに男性が「やっぱり料理は奥さん
です」というナレーションが入るものがある)
性別役割の押しつけ。(清 No.1 p.13)
丸大食品『GU-GU ガンモ』(1984)
「ママと作ったお料理は」よい女(よき母)=豪華な料理づくりというイメージ。(昌 No.1 p.13)
はごろもフーズ『シーチキンお料理番』(1984)
「バンバン、お料理してください」男性がエプロンをつけて、台所で料理しながら商品の説明をする、という風に変える。(昌 No.1 p.13)
タイガー魔法瓶『マイコンジャー炊飯器
炊きたて』(1984)
「ふーん」いっそ、男女を入れ替えてつくると面白いのでは。(潤 No.1 p.13)
資生堂『BECAUSE(ビコーズ)』(1984)[2]
「男には、わけがある」男=ロマン、仕事、くつろぎ、遊び=外のイメージ。(昌 No.1 p.13)
日本たばこ産業『キャスター スペシャル』
(1984)
「男の、インターバル。」男=ロマン、仕事、くつろぎ、遊び=外のイメージ。(昌 No.1 p.13)
キリンビール『缶生ビール』(1984)
三菱自動車工業『ギャランΣハードトップ』(1984)
「トップを知った男のハードトップ。」男=ロマン、仕事、くつろぎ、遊び=外のイメージ。(昌 No.1 p.13)
日本コカ・コーラ『リアルゴールド』(1984)
[2][3]
「サビるな、男よ。」[2]「男は元気。」[3]「オレ、元気主義」男だけをことさら取りあげることによって「男」と「女」を差異化し、現代社会通念との複合作用によって、男女差別を助長する効果をもたらす。(剛 No.1 p.14)
月桂冠『TIME』(1984)
ストローを差し込むともだえるというのは、あまりにもセクシャルだとあきれる。これはもうはっきりとセックスをイメージしている。(No.1 p.14)
三菱電機『Mr.かくはん』(1984)
洗濯機にミスターと名付け、「力強く洗う」と言う。力強さは男の専売特許なのだろうか。次に、「待ってたよ、ミスターかくはん」と流れる歌と、それに合わせて、裸の女性が胸を押さえる場面。女性は男性を待っている。更に言えば、犯されるのを待っている、というイメージを伝えているようで気になる。(真 No.1 p.14)
花王『ニュービーズ』(1985)
「いつのまにか白さと香りにあこがれている」女の役割を幼い女の子に強要するのは不愉快なCM。こまっしゃくれたガキの主婦ぶりにいつも目をそらす。(晴 No.2 p.6)
リースキン『リビングモップ』(1985)
「奥さんが2人いるみたい(It's like I have two wives.)」
タカラ『リカちゃんキッチン ママタイム』(1985)
ダイハツ工業『シャレード ブランシュII』(1986)
味の素『キューピーマヨネーズ』(1986)
「風呂ヨシ(Bath is good)」
「トーストヨシ(Toast is good)」
「アジの干物ヨシ(Fish is good)」
「妻ヨシ(Wife is good)」
「マヨネーズヨシ(Mayonnaise is good)」
「妻、ヨシ!」最後の「妻、ヨシ!」というセリフと指差しは、妻をまるでメイドか何かのように扱っているようで、男の思い上がりもはなはだしく不愉快である。(清 No.2 p.6)
味の素『キューピーマヨネーズ』(1985)
夫婦の楽しそうな雰囲気は伝わるが、「女作る人、男食べる人」に変わりはない。ただ椅子に座って妻の料理をスケッチし、解説するだけの伊丹の存在は滑稽なほど浮いてしまっているし、彼のような存在が、妻役の"いそいそとサラダをつくる"動作を白けさせている。(陽、博、清 No.3 p.44)
花王『ハイターE』(1985)
「漂白してほしいな」妻が「イヤだ」と言ったからといって、洗濯物を放り出すことはないと思う。(あ No.2 p.6)
ネッスル(現ネスレ)『ネスカフェ
ゴールドブレンド』(1985)
「違いがわかる男」女でも違いがわかるはず。(薫 No.2 p.7)
象印マホービン『マイコン炊飯ジャー』(1985)
(同シリーズに男性が「うまいなや、ご飯が
一番」と言い、女性が「私は何番」という
セリフがある)
何度も何度も繰り返して見せられていると次第に不愉快になってきて「いいかげんにしろ!」と言いたくなる。(No.2 p.7)
ライオン『ママレモン』(1985)
(同シリーズに奥から子どもが「母さん、
始まるよ」と呼び、母親は片づけを終わ
らせるものがある)
子どもは奥でテレビを見ていて、母親を手伝う気がない。母親が見たいテレビがあるのなら、子どもも手伝えば早く片付けられる。(あ、裕 No.2 p.8)
グラクソ・スミスクライン
『コンタック せき止め』(1984)
「夜の苦しい咳に、妻の愛とコンタックせき止め」病気の夫を献身的に看病する妻の姿を感動的に描き上げたつもりだろうが、反対に妻が寝込んだ場合、夫はどう行動するだろうか。時代を江戸時代に設定することによって妻の愛を無理なく謳いあげ、あわせて役割押しつけの批判をかわそうというつもりだろうが、女の男に対する一方的な献身・奉仕を愛の名において要求する時代錯誤的な男の身勝手をかえって浮き立たせる結果となっている。(万、清 No.2 p.8)
ハウス食品工業(現ハウス食品)
『冷やし中華』(1985)[1]
一昔前の雰囲気。女が召使いのように男につかえている。なぜ男が食べている時に、女が団扇であおがなければならないのか。(恵、千、剛 No.2 p.8)
[1]若いペアが遊びに来て、二人揃って素麺をごちそうになり、香山美子が団扇であおぐという描き方をしている。(清 No.2 p.8)
ハウス食品工業(現ハウス食品)
『ザ・カリー』(1983,4)
スプーンをタテに持って食卓をたたきながら「かあちゃん、ごはんまだ!」と叫んで、料理が運ばれてくるのをただただ待つ子供が、そのまま大きくなったような気持ちの悪いイメージがこの夫にはある。(中略)ほんの少しだけ画面編集を変えて、前半部分すなわち「女が作る」というところを見せないCMも流されているが、今となっては姑息である。(剛 No.2 p.16)
武田薬品『パンビタン』(1985)
(最初に女性が「休みの日はいつも寝てばっ
かりなの」と言う。画面替わって女の子が
「近頃元気になりましたねぇ。オホホホホ」
と笑う。これは差し替えられたCMと思われる)
小さな女の子を完全な"ミニ妻"として描いていて、たとえようもなく不愉快で、気持ちが悪い。(清 No.2 p.16)
旭松食品『生みそずい』(1985)
たかがインスタントみそ汁に大げさな…。朝でも昼でも夜でも、食べたければ自分で作ればいい。(き、綾 No.2 p.16)
サンヨー食品『サッポロボーイ』(1985)
[スペシャル]
男の子用と女の子用と、商品を分けてつくること自体そもそもおかしい。CMの画面も、おまけを強調して男の子用のときはプラモデルなど"男っぽく"、女の子用はピンクの色調でキッチンセットなど"女の子っぽく"つくってある。まんが番組のタイムCMなので、子どもへの影響も考えるとこわい。(薫 No.2 p.17)
日清製粉『マ・マー スパゲティ』(1986)
相変わらずの「私作る人、僕食べる人」のパターン。おまけに彼にほめてもらう、気に入ってもらうために料理するかのようなセリフ。実に「そろそろやめて」の代表的CM。(No.4 p.36 真)
江崎グリコ『グリコ』(198?)
グリコもすでに同じ商品を「男の子用」と「女の子用」とに分けて売っており、そういう意味ではこちらが先輩格といえるが、当該商品のCMは流されていないようである。
大京観光(現大京)『ライオンズマンション』
(1985)
「明日をになう子ども達によりよい住まいと環境を」画面は、野球、ラグビー、水泳、マラソンと、元気いっぱいにスポーツする子ども達。画面に映しだされる子ども達は男の子ばかり。子ども達の中に女の子がすっぽり抜け落ちていることを制作者は全く気がついていない。(清 No.2 p.17)
積水化学工業『セキスイハイム ニューアバンテ』
(1983)(このCMと同シリーズ)
せっかく画面に女の子を登場させて父親と対話させているのに、母親はあいかわらず台所→紅茶の給仕役と、マンション業界のCMはどういうわけかことごとく旧態依然、古色蒼然なものばかり。(清 No.2 p.17)
旭化成『ヘーベルハウス』(1985)
「染めて下さい、あなた色に。」「女は男の思いのままに染められる」とする差別思想丸出しのコピーをかぶせて悦に入っている。(清 No.2 p.17)
郵政省『郵便局 電子郵便』(1985)
「私、この人のお嫁さんになりまーす」女の子だけに小さい時から花嫁願望を植えつけることが、男のあからさまな女性差別であることを、もうそろそろ日本の男達は気づいてもいいはずである。(良、清 No.2 p.18)
リコー『マイツール』(1985)
「女にとって、大人になるってことは、男のつらさが見えてくることかしら」「男、わかってあげる」男は女のつらさをわからなくていいのか。(き、清 No.2 p.18)
住友生命『ザ・ベスト』(1985)
「ほんの短い時間でもお父さんの姿を見失った時の気持ち、覚えていますか。今はあなたがお父さんです」現実問題として、人混みではぐれることが多いのはお母さんの方である。父親だけが稼ぎ手という捉え方で不安をあおりたてる手法は許せない。(薫、清 No.2 p.18)
<ここまで>日清『はかたんもんラーメン』(1985)
女に口では「好かん」といわせ、文字("心の中")では「好き」と言わせるあまりにも通俗的な女の描き方に"いい気"な男のしたり顔が目に浮かぶ。(清 No.3 p.41)
<ここまで>丸大食品『丸大ロースハム』(1985)
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」子どもにはもちろん男、女があるのだから、男の子だけの登場はいかがなものか。(武、清 No.2 p.19)
丸大食品『丸大ロースハム』(1986)
「佐藤さんの奥様へ、健康のバトンタッチ」女であれ、男であれ、人はそれぞれに自分の名前を持っている。一人の人間に、いわば、"所有代名詞"をかぶせて「~~さん(男)の奥さん」と"役割"で呼ぶことの異様さは、女と男を入れ替えてみれば男の目にも明らかなはず。夫であれ、妻であれ、人は誰の所有物でも、所属物でもない。(清 No.3 p.41)
丸大食品『丸大焼肉』(1982-4)
「お母さんのアイデアで(Mom's idea)
三菱電機『オーブンレンジ』(1985)
「料理で愛をのがしているあなた。このボタンを押して下さい。料理の手順を光が教えてくれます」「料理ごときで、この愛のがしてなるものか」料理=お嫁さんのイメージ。その上、女二人を競わせるというのが不愉快。(昌 No.3 p.8)
サントリー『サントリーレッド』(1986)
一人旅をする夫とおいてけぼりの妻のワンパターンCM。(万 No.3 p.9)
タイガー魔法瓶『マイコンジャー炊飯器
炊きたて』(1986)[2]
「僕にピッタシ」そんなに「僕にピッタシ」なのなら、食べて笑うだけでなく、自分で炊いて女にも食べさせたほうが、より「ピッタシ」感が出せるのでは。(昌 No.3 p.10)
積水化学工業『ハンガーネット 』(1986)
「キッチンは女の顔です。キッチンがブスだと
恥ずかしいよ(A kitchen is her face.
It's embarrassing if kitchen is ugly.)」
コダック『コダカラー』(1986)
「心配!」女が男を抱きかかえたカップルをことさらに哀れっぽく描いて「心配!」と指摘。「コダックを使う・使わない」にかこつけて"女性上位"を揶揄している。男が女を抱きかかえるという図には、男が女の生活を支えてやるという意味が含まれている。女の経済的従属性の原因を掘り下げることなく繰り返されるこのような図式の表現が、反動的な役割を果たすだけだということは自明であろう。(剛 No.3 p.12)
大阪ガス『炊飯器 マイコン強火炊き』(1986)
「おかえりなさい」女は家で男の帰りを待ちながら、ご飯を用意するもの、ときめつけているようだ。エプロン姿は、女=料理する人、という思想をあらわしていて、不愉快。(敏、清 No.3 p.12)
カシオ計算機『データバンク』(1986)
会社の会議中らしいが、一同男ばかり。14~5人の中に女が一人もいないのはどういうことか。(幸、敏 No.3 p.13)
フマキラー『ベープマット』(1986)
あきらかにこれは、テレビCMの中で今まで女がさせられていた役に男がそっくりそのまま入れ替わったものと言える。(清 No.3 p.14)
大日本除虫菊『金鳥 ゴン』(1986)
何となくイヤで、気分の悪くなるCM。女の働く意識を全くバカにしたような感じ。それも、女に女を非難させているところが不愉快。(昌、多、清 No.3 p.15)
映画予告『レイザーバック フェノミナ』(1985)
「フェノミナ」という映画のCMにかなり残酷で(血を流してたり)気持ちのわるい(大人がみても)シーンが多くあった。TVをみていて突然でてくるCMだけに、子供への影響も考えて、やめてもらいたい。(東京・坂上 No.3 p.28)
映画予告『新・13日の金曜日』(1985)
白子『白子のり』(1980s)
職場を舞台に1人だけ白子のりを知らない部下を登場させて、その部下を伊東四朗が威圧、あるいはシカト(無視)するというパターンが続いていた。(清 No.4 p.7)
ヤマハ『エレクトーン』(1985)
「大人になったら、エレクトーン弾ける、お嫁さんもらうんだ(When I grow up, I'll get a wife who can play the electone)」(No.4 p.7)
松下電器産業(現パナソニック)
『キャニスターV』(1986)
「親のめんどうも見てー」女だけに親の面倒、すなわち老親の介護、老人福祉を担わせよう(押しつけよう)という視点が不愉快。(千 No.4 p.8)
ライオン『ピンキー』(1986)
女性が洗濯用合成洗剤のCMに出演するのは、ありふれた従来パターンだが、アグネスさんが結婚した途端に主婦役というのは少し酷いのでは。(清 No.4 p.9)
<結婚したら主婦CM>
1.花王『新酵素ザブ』(1986)
ネッスル『ネスカフェ ゴールドブレンド』(1986)
体の大小だけでなく、位置の上下(男はソファに腰かけ、女はカーペットに直接座る、というような)が社会的な権力関係や男女の性関係を表わす。(清 No.4 p.10)
ライオン『新スマイル』(1986)
「今日も一日お疲れ目さま」全員男で、女は一人もいない。女の人も、ちゃんと仕事を持っている人がいるのだから、女の人がまざっているはず。混合にすべきです。(敏 No.3 p.14)[3]街頭、ゴーカート篇が流されているが、あいも変わらず全員男。女は1人もいない。(清 No.4 p.10-1)
日本電信電話『カエルコール』(1986)
結局は「男は外で仕事、女は家で家事」「私作る(そして待つ)人、僕食べる人」のパターンに変わりない。(清 No.3 p.44)
はごろも缶詰『シーチキンマイルド』(1983)
※このページは『コマーシャルの中の男女役割を問い直す会 会報(WANミニコミ図書館 https://wan.or.jp/dwan/dantai/detail/60)
1,2,3,4,5,6,7,8,9号』(1985-95 PDF)、日本女性学会 第35号(PDF)を参考にしました。
なお、企業名からは株式会社を略し、当時の商号を記載し、商号の変更については(現~~)という形で記載しました。
()内のCMの放映年については1年ほど前後することがあります。