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立体迷路の思い出

(随分と昔のことなので、緩やかな記憶の改変があるかもしれません。ご容赦ください)
僕は小学4,5年生の頃に遠足で屋外アスレチックに行ったことがあります。
小学校の学年をまたいで、百人以上の大所帯で行きました。

そのアスレチックで楽しんだのはもちろんですが、夕方になってから、最後に小学生みんなで、立体迷路で遊ぶことになりました。

今で言うと、巨大迷路パラディアム(栃木県日光市)https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298182-d1425324-Reviews-Big_Maze_Palladium-Nikko_Tochigi_Prefecture_Kanto.html

のような立体迷路です。

高さ2mほどの木製の板が壁のように、何百枚も並んでいる迷路でした。

当時の日本はバブル景気の残り香があり(1995年頃)、その立体迷路もバブル期に建設されたようでした。関東近郊なのですが、今ではもうなくなってしまいました。

僕たち(小学生)ばかりが百人以上で迷路に入ったので、かなり騒がしくなりました。

壁越しには、いくつか(確か3つ)の大きな矢倉(高さ3~4m)が見えます。その矢倉に登って、スタンプを押して、全部集めたらゴールというルールだったのです。

僕も、他の小学生と同じように迷路内を歩き始めました。初めは友達の後を追っていたのですが、少しずつはぐれて、一人だけで道を歩き始めました。矢倉には1つもたどり着けません。そうするうちに時間切れが迫ってきます。

確か、目の前の3本の分かれ道、全てを回って、全て行き止まりだったことを確認した時のことです。僕は卑怯だと思いながら、板の下をくぐり抜けたのです。木製の板には下に50cmほどの隙間があり、僕の体ならばギリギリでくぐり抜けられたのです。その代わり服は土で汚れるし、恥ずかしいです。でも、隣のルートには出られます。

くぐり抜けた先には、1学年上の3人組の男子がいました。彼らは、僕に何も言いませんでした。
ほどなくして、時間切れになりました。僕は入り口に戻って、他の小学生たちと一緒に遠足を終え、電車に乗り、帰宅の途に着きました。

先生には何も言いませんでした。咎められもしませんでした。
だって、ただの遊びだからです。

僕は、この迷路での教訓をこのように考えています。

あの時、板の下をくぐり抜けたのは1人でしかできませんでした。友達と一緒にくぐり抜けることはできないのです。
そして、時間切れが迫りつつあったので、仕方なくくぐり抜けたのです。
でも、卑怯であることにかわりはありません。それは自分自身がよく知っています。
結局、矢倉には一つもたどり着けませんでした。
でも、一つに絞って集中すれば、きっとたどり着けたと思います。