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『村八分の記』

この本は、1952年に静岡県上野村で発生した、不正選挙および、その告発をめぐる手記です。
Wikipediaにも詳細があります。

静岡県上野村村八分事件

できる限り分かりやすく時系列に並べて書きました。

1952年、著者の石川さつきさんは、富士宮高校に通っていました。

5/6
参議院議員補欠選挙があり、隣組の組長による棄権票の回収および替え玉投票が発生しました。

近所のおばさんの選挙のうわさによると
「棄権する人が多いときには回収することも許されるのではないだろうか、そうでなければ、組長さんがあんなに堂々とあつめて歩きはしなかったでしょう」
と話されました。

また、彼女の組のとなりの組では
「棄権する人がありましたら組長宅まで入場券をもってきて下さい」
といういみの回覧板がまわされました。

また、母親からは、
組長が不在者や老人の入場券を「棄権防止のためだ」と言って廻った
という不正に関する話を聞きました。

彼女は、2年前の参議院議員選挙の際(当時は上野中学校3年性)にも、同じような不正を見つけました。
そして、中学校の文芸部の「合歓(ねむ)」という雑誌に発表しました。
これは、上野中学新聞に転載されたのですが、
学校では直ちに新聞を回収させ、校長と有力者によって焼き捨てられました。

今回も同じように不正を見つけてしまい、新聞社に真相を調査していただくよう依頼の手紙を出しました。

この結果、石川さつきさんの一家は、部落から村八分を受けました。

5/6より十数日後
家の近くで隣の組の組長さんの奥さんから
「あんただってねえ、選挙違反を投書なんかしたのは。
(中略)
あんたも学生なんだから、他人を罪におとしてよろこんでいることが良いことか悪いことかくらいはわかるでしょう。
自分の住んでいる村の恥をかかせてさあ……」
と言われました。そして急にひとびとの態度がよそよそしくなり、話かけてくる人さえなくなりました。

妹は、毎日の通学途上、小学生や中学生から「赤だ」「スパイだ」とヤジられ、泣いてしまいます。

しかし、学校の先生たちからは支持されました。富士宮高校でも、県教組でも、日教組でも支持されました。

6/10の夜
そっと訪ねて来てくれたおじさんがありました。
「多くのひとたちの手前訪ねてゆけなかったということ、多分こんごも訪ねられないだろうが悪く思わないでほしいということ、
いっさい交際しないことをそれとなく話しあったのだが今夜はそっと訪ねてきたということ、
田植に手伝う約束だったがそんなわけで来れないということ等々」
と話しあい、じつに馬鹿馬鹿しいと思うかたわら、涙がジーンとわいてくるのです。

6/11の夕方
先生にとにかくはじめからできるだけくわしく一部始終を話しました。
すると先生から朝日新聞の本社の友人に渡すために、事のはじめから感想文のような物を書いてほしい、と言われました。

6/12
感想文を先生に手渡しました。

6/18
学校の帰りに、石川さつきさんはタクシーに呼び止められました。朝日新聞の記者でした。
「徹底的にやりますよ。少くともぼくたちは全力をつくします」
と言われました。

6/20
田植えをしました。いつもなら近所のひとたちが手伝いに来てくれるのだが、
今年は、隣り村の親戚が二人手伝いに来てくれただけでした。
わたしも妹も学校を休み、なれない田植えに全力をそそぎました。

6/22か23
新聞紙上で扱われ、全国的な波紋を描いていきました。

6/23
朝日新聞に「選挙違反を投書した娘さん一家を”村八分”!」という五段抜きの記事が載りました。
ちょうどその頃、破防法が問題化されていました。

6/30
朝日新聞の三面で報じられました。
「投書して村八分」

6/27現在
全国各地から激励の手紙が殺到しました。
石川さつきさん宛てに約150通、
先生宛てに8通です。

石川さつきさんの父の操行を攻撃する記事が報道され始めました。
財産を賭博や競輪で失ってしまった。
村のひとたちに金銭上の不義理をしている。

7/2
静岡県教職員組合富士宮高校分会が、
石川さつきさんの行為を支持する声明書を発表する。

7/5
静岡県教職員組合が、
石川さつきさんの行為を支持する声明書を発表する。

7月中旬
一人の友だちから共産党に入ったのは本当かと尋ねられる。(入党していません)
ある地方新聞は3段ぬきのタイトルで、学校の内部紛争なるものをデッチあげました。
その中でわたしの所属している新聞部は破防法や細菌兵器のことをとりあつかっているから左翼的傾向をもっており、
したがってわたしという生徒は危険思想の持ち主であるかの如く書きたてました。

その翌日
毎日新聞の記者の訪問を受ける。
「あなたが共産党に入党されたということを耳にしたのですが、事実のところを聞きたいと思いまして……」。

数日たったある日
ローカル放送をやっていました。
「悪質なる選挙違反を投書して村八分的行為をうけた石川さつきさんは全国から強い支持をうけて激励されていますが、さいきん、”赤”の手がのびて石川さん自身ははっきりしないながらも、現在利用されているのではないかという批判が強くなってきました」。

その後、
弁護士連合会の人権擁護委員会が「基本的人権の侵害」という結論を下しました。
村八分事件の表面的な結論は得られました。

個人的に面白かった点は、自由党という言葉が何度も出てきたことです。
当時は、55年体制以前だったのです。

さて、本書の初版に書かれた著者のまえがきを引用したいと思います。

「わたしは、じぶんのことは、たいへん小さなことにすぎなかったと思っています。えらいことをしたとか、たいへんなことをしたとかいって、ほめられたり叱られたりするわけは、すこしもないと、思っております。
 それだのに、たいへんほめられたり、たいへん叱られたりしました。
 どうか、日本じゅうにかぞえきれないほどある、こういうことを、みつめていただきたいと思います。どうか、かぞえきれないほどの、こういうことを、黙って見すごさないでいただきたいと思います。
 不正を見ても、黙っているのが、村を愛することであったり、お国を愛することであったりすることだけは、やめていただきたいと思います。

 わたしは、思いがけない社会の波に、もみくちゃにされて、悲しがったり、さびしがったり、はげまされてうれしかったり、いろいろなことを教えられました。
 けれども今は、明るく、おちついています。社会は、やっぱり良くなると思います。たくさんの人が、いっしょうけんめいに努力していると思います。

 どんな小さな真実でも、いっしょうけんめいに守ろうとすれば、やがて多ぜいの人が協力するようになるし、そういう協力は必らず実を結ぶと思います。
 みんなが、どんな小さな真実でも、ゴマ化しなく守れば、やがて、大きな真実が創りあげられると思います。
 わたしは、ほんとうに、日本じゅういたるところで、誰もが、小さな真実を守りとおすように、おねがいしたいのです。

 わたしのお友だち、先生、新聞の皆さん、 ほんとうにありがとう。」

現代教養全集11 日本の女性(1959)
石川さつき『村八分の記』p.224-226,228-229,231-233,235-237,242-245,247-249,253,412-413