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懐疑

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あなたは、中学校、高校に通っていた時に、
服装規定について納得していましたか。
なぜ、男子生徒はスカートを履いてはいけない
のか、先生の話で理解できましたか。
なぜ、女子生徒はズボンを履いてはいけない
のか、先生に聞いたことがありますか。

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文化祭の時などに、女子生徒がスカート
の下に体操着のズボンを履いた姿を見たこと
がありませんか。同じことを、なぜ男子生徒
がやってはいけないのでしょう。
そのようなことは学校では議論されません。
どうしてでしょう?

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それは、普通の学校の先生は、面倒な
ことに関わりたくなのです。彼らは、自分の
頭で考えるよりも、考えることを回避する
人生を送っているからです。中には、そう
いった疑問にきちんと答えてくれる先生も
います。そういった先生をもった学生は幸福
です。私はそうではありませんでした。

久野さんはピアノ弾かない
ことになったからさ。だから頼むよ
そんなの今さら言われたってねえ
練習してないしー
ピアノは誰が弾くの?
ピアノ無くなった。アレンジ
変えたんだ。アカペラ
アカペラ?
なにそれ?
なんつーのかな。人間カラオケ
人間カラオケ?
なにそれ?
だから、なんつーの?
君たちが主役?
岩井俊二
『リリイ・シュシュのすべて』 (2001)
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本当に聞きたいことを学校の先生は教えてくれ
ません。なぜなら、その疑問は学校という枠を
超えて社会や教育の矛盾に辿り着くからです。
学校の先生も触れられないタブーだからです。
彼らの仕事は学生たちを管理することであり
学生に自分の頭で考えるように、
奨励することではないのです。

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私は正規の学校教育を経て大人になりました。
中学、高校生の頃には服装規定に疑問をもった
ことはありませんでした。しかし、今ならはっ
きりと言えます。そのような服装規定は間違っ
ている。あなたの性別が何であれ、着たい制服
を着ればいい。私は学校に制服があることを
批判しているのではありません。その制服を
身体の性別によって強制されることについて
批判しているのです。屁理屈や詭弁
だと思いますか。反論できないからといって、
正しいとは限らないと反論しますか。
規則で決まっていると強弁しますか。

これは快感だ。誰もオレ
に気付かない。先生も、クラスメ
ートも、オレの細い肩なら女物も
ラクラク入るんだな。知らなかっ
たよ。(中略)そうだ、今日家に帰
ったら母さんのドレスを着てみよ
う。きっと似合う。オレは母さん
によく似てるから、ねえ母さんい
いよね?母さんの大事なドレス、
オレなら着てもいいよね?(中略)
ってわけでオレは女装に目覚めて
しまったってわけ。このドレスで
武装して戦い続ける女装戦士・
蔵之介と呼んでくれ!なんてね。
東村アキコ
『海月姫16巻』(2016)p.154-8
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私が主張していることはおかしいでしょうか。
私は先生が言わない正しいことを主張している
つもりです。私はこの矛盾は行き着くところま
で行き着かないと解決しないと考えています。
私は、その過程で生じたリスク
や責任を取るつもりです。

「本当言うとね、男子校に
決まった時、すごく落ち込んでた
の。自分の生徒たちにシンクロ教
えるのががずっと夢だったから
でもそんな考え自体が古い
んだよね。うん、そうだよ。
男だってやっていけないわ
けないもん!あたし決心した一緒
にシンクロやろう、ね?」---
「でもな、今は本当にお前らの
演技を見てみたいと思っている。
恥かくかもしれないけどよ、一
生情けないままよりいいだろ」
矢口史靖『ウォーターボーイズ』
(2001)p.24,190-1
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こういった疑問は、ほとんどの方は避けて通り
ます。まるで学校の先生のように。しかし少数
ですが価値があると思ってくれる方がいます。
考えることを仕事にしている方です。日常的に
試行錯誤をしている方です。そういった方は知
っています。形骸化した規則には意味がない
ことを。実践の伴わない仮説には何の価値もな
いことを。そして、常識は移り変わることを。
私はそういった方に向けて発信していきます。

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私は大手企業の若手人材によ
く話す。今の仕事は15年後にきっと
役に立つ。能力蓄積に関するステップ
は、昔とあまり変わっていない。その
階段が目に見えないからわかりにくい
が、大手のスローライフはけっこうい
いものだ。昇進や年収アップも、昔ほ
どではないが、ちゃんとできる。だか
ら、むやみに転職するのはやめよう。
唯ひとつ。転職をするとするなら、そ
れは、社風や周囲と合わないと思った
とき。仕事内容ではなく、社風のほう
を、意思決定の軸にすべきだ、と。
海老原嗣生『「若者はかわい
そう」論のウソ』
(2014)p.85-6
実は日本企業は今なお、強い
現場を保有しています。それが、こうし
た状況の中でさえ、国際競争にしのぎを
削ることができている理由です。ところ
が、困ったマネジメント、困ったエリー
ト層が、社会や会社を「ゆでガエル」の
ようにじわじわとダメにしている。こう
したマネジメントの脆弱さが、現場にし
わ寄せを与えようとしている。
冨山和彦『会社は頭から腐る』(2007)p.v
コペルニクスは地球が動くと
宣言したから気狂いだ、と言
った人たちのことを考えてみよう。
彼らは全く間違っている、とも言い
切れない。彼らが「地球」と呼んだ
部分は、固定した位置であった。
彼らの地球は、少なくとも
動かすべからざるものであった。
したがって、コペルニクス革命は、
ただ地球を動かすことではなかった。
それはむしろ物理学や天文学の問題を
見る全く新しい見方であって、
それからすると「地球」も「運動」も
共に意味が変わってしまうのである。
トーマス・クーン
『科学革命の構造』(1962)p.169
大陸移動説に関するこれら
の先駆的な著作は、ウエゲナーの仕
事の偉大さを傷つけるものではな
い。ウエゲナーのように測地学、地
地球物理学、地質学、古生物学、動
物地理学、植物地理学及び古気候学
の研究結果のすべてを動員して大陸
移動の問題ととりくんだ人は、ウエ
ゲナー以前には誰もいなかったから
である。またウエゲナーのように勇
敢に大陸移動説のために戦った人も
いない。ウエゲナーが亡くなった
1930年頃には、大陸移動説は不評
判であった。後にも述べるように、
大陸移動説の正しさが再確認される
には、ウエゲナーの死後20年の歳
月を必要としたのである。
アルフレッド・ウエゲナー(訳者解説)
『大陸と海洋の起源』(1929)p.21
科学のある分野が今後どう進
むか、などという予測はむだ以外のな
にものでもない。いつだって、せいぜ
いこれまでに獲得された知識に照らし
て、五年後にどうなるかが想像できる
くらいだ。そして、五年後まで予測さ
れる研究というものは、ある意味では
最低の研究、つまりもはやわかってい
ることのくり返しであり、ルーチンで
あるにすぎない。ほんとうにおもしろ
い研究は予見しえない。それはまるで
、地下室か屋根裏に隠れていた未知な
ものが、ある日突然姿をあらわし、新
しい光をあたりに投げ、私たちの宇宙
の少なくともその一部を、新鮮に照ら
し出すようなものである。基礎的研究
においては、出発点の実験結果がじゅ
うぶん不確実でなければ、重要問題と
はなりえないとさえいえる。つまり、
曖昧で不完全なデータで始めるほうが
ふつうなのだ。研究とは、一見独立し
た断片的な情報につながりをつけるこ
とだといってもいい。実験プランも、
確率論的な手探りで思いつかれる。も
ちろん、予想通りの結果を生む実験が
おもしろくないのではない。しかし通
例、それよりずっと価値があるのは、
驚きを生み出す実験である。科学的業
績の重要性は、それがひき起こす驚き
の強度によって計られるといえる。
フランソワ・ジャコブ
『ハエ、マウス、ヒト』(1997)p.16-7
当時と同じような気持ちで楽し
んで歳をとっても、楽しい青春の思い出
が気持ちの中ではまだまだ続いていた。
「元竹の子族」熊澤誠司 竹の子族とは
昭和55年(1980)ごろより、東京都渋谷
区原宿の歩行者天国で、派手な衣装を身
につけ、音楽に合わせて踊った若者たち
。名称は、衣装を扱っていた洋品店「ブ
ティック竹の子」からという。
コトバンクより
脳を鍛え直して、大小問わず
いろいろな問題を普通とはちがう方法
で考える。ちがう角度から、ちがう筋
肉を使って、ちがう前提で考える。
やみくもな楽観も、ひねくれた不信も
もたずにすなおな心で考える。
スティーヴン・レヴィット、スティーヴ
ン・ダブナー『0ベース思考』(2014)p.1
「お笑いの裏面」と
「音楽の裏面」を掛け合わせた。
マイナスxマイナスでプラスに切
り替わると思ったのだ。
裏の裏は表だった。
古坂大魔王『ピコ太郎の
つくりかた』
(2019)p.51
柔軟な心は、見方を変
える能力や、自分の問題を「角度
を変えてみる」能力を養う。---
物事を多くの異なる角度から見られる
ということは、選択肢がいくつかある
ということです。ある現象についての
特定の角度、特定の側面に焦点を
絞り、特定の見方で
見ることができるのです。
ハワード・C・カトラー、ダライ・ラマ
14世『ダライ・ラマ こころの育て方』
(1998)p.205,254
大空小学校には、ほかの学校
では通学できなかった子が、開校か
ら9年間で全国から50人ぐらい転校
してきました。でも、みんな当たり
前のように学校に通ってくるんです
。不思議でしょ?
「なんでいままでの学校に行けへん
かったん? なにが違うん?」
そう聞くと、ほとんどの子が「空気
が違う」と答えます。じゃあ、前の
学校の空気はどんな空気? そう訊ね
ると、どう返ってきたと思います?
「刑務所!」「牢屋!」「監獄!」
口々にこう叫ぶんです。(中略)
私は50人の子どもたちから「前の学
校は牢屋、刑務所、監獄」と聞いて
きた。そういうことを言える子ども
こそ、「ふつう」の感性を持ってい
るんですよ、って。お母さんはたい
てい驚かれますけどね。
学校を「刑務所」だと言う子どもた
ちに、意味を説明してもらったこと
があります。するとほとんどの子が
次の3つの理由を挙げました。
1つめは、教室から勝手に出られな
いこと。つまり檻から勝手に出られ
ない刑務所と同じだと。大空小学校
の子は、しんどくなったら自由に教
室を出ます。これが「ふつう」。
2つめは、教室の中で勝手に動くこ
とを禁じられて、椅子にじっと座れ
と叱られる。刑務所の中で、動くな
と言われるのと同じですよね。
でもね、子どもたちは、じっと座っ
ていると苦しいから、体を動かして
いるんです。さらに苦しさに耐えら
れなくなると、教室を出ていく。そ
うするとものすごく怒られて引きず
りもどされる。「死にそうになるか
ら出るのに、教室に帰ったら死ぬや
ん。死ぬから行かない」って。
3つめは、刑務所の中では勝手に話
せないこと。教室でも「おれ嫌やな
ー」「それええなー」と思ったこと
をしゃべると怒られる。だから「牢
屋」だと。
木村泰子『「ふつうの子」なんてど
こにもいない』
(2019)p.29,30-1
結核の予防ぼくめつ運動で、
あらゆる方法のなかでもっとも手ぢか
な確実な方法は千句一言「痰を吐くな
」ということだといわれます。路傍の
一滴の痰のなかに2億のばいきんがひ
そみこれが陽に照らされて乾燥し、
空気中に発散して四方に伝播される
わけです。純潔の教育も、ありとあ
らゆる論議をつくしても、けっきょ
く、ただ一つ「不品行をするな」と
いう一ことでつくされるのではあり
ますまいか。
久布白落実「純潔教育はなぜ必要か」
『女性の描かれ方にみる
セクシュアリティ2』
所収(1949)p.75
女たちはいまでも生理用品を
こっそり買うために大きな努力を払っ
ているし、ナプキンだけもっていけば
事は足りるのに、トイレへハンドバッ
グをかかえて行く。生理中の性交に対
する抵抗感は根強く残っているし、経
血は特殊な血だという感覚もまだ払拭
されてはいない。もっとも、経血は魔
女が愛用の杯に満たして悪魔に捧げる
酒だと考えられていたころに比べれば
、少しは進歩したかもしれない。私は
そんな偏見からすっかり解放されてい
ると自認する人に対し、自分の経血を
なめることを想像してみたらといいた
い。-それでたじろぐようでは、あな
たの解放への道のりは、残念ながらま
だまだというところだ。
ジャーメン・グリア
『去勢された女 上』(1970)p.57
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