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恋愛(女性)

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沖縄県出身の女性芸能人

友だちになってすぐの頃は、
会っておしゃべりを楽しむぐらいの関
係だった。その後、秘密を打ち明け合
ったり、二人で突然思い立って旅に出
たりするようになった。そのうち、こ
の友情は何があっても壊れないと思い
こみ、それが間違っていたと気がつい
たときの胸の痛み。
ジェニー・オフィル、エリッサ・シャッ
ペル『女友だちの賞味期限』(2005)p.3
『SEX AND THE CITY』の脚本
部屋に座り、女性ばかりのスタッフに
囲まれ、ゲイではない男としての幸せ
を味わう私(いや実際はクッキーを食
べているだけ)。脚本家の女性たちは
、つきあっている男の話をしています
。恋愛を探るドラマ作りの、いつもの
プロセスです。私はいつまでだって聞
いていられます。いやみに聞こえかね
ませんが、本気です。ある日、女性の
一人が頭から湯気を出しながら言いま
した。「グレッグ、あなた男でしょ」
優れた観察眼の持ち主と見ました。い
かにも私は男である。彼女は語り始め
ました。
「最近つきあっているような感じの人
がいるんだけど、たぶんつきあってる
ことになると思うんだけど」
答えはお見通しなんだけど。
「映画を見に行ったの。それはいいん
だけど、手を握らないの。私、そうい
うのって好きじゃないから別にいいん
だけど」
この答えもお見通しなんだけど。
「……でも、後で駐車場でキスされ
たの。だけど『うちに来る?』って聞
いたら、明日大事な会議があるからっ
て帰っちゃったんだけど」
うっ。これはいったい。どうか、もう
分かったと言ってくれ!
私は聞きました。
「で、それから連絡あった?」
「そこなのよ。それが、一週間くらい
前のことなんだけど」
もうお分かりですね。
「で、今日になって『どうして連絡く
れないの?』みたいなメールがあって」
今にも答えが目玉から飛び出すかと思
いながら、私は一瞬、彼女をじっと見
ました(ときとして女性というものは、
頭を爆発させてくれる存在である)。
美しく、才能にあふれ、聡明な、権威
あるエミー賞を受賞した、男性への深
い洞察で知られるドラマの作家であり
、まわりにいるどんな男でもつかまえ
られそうなこの人が、女性たちの憧れ
のこの人が、私から見ればこれ以上な
いほど単純かつ明快なことが分からな
くて混乱しているだなんて。
いや、混乱という言葉は正しくありま
せん。彼女は賢い女性ですから、混乱
は違うでしょう。混乱でなければ、希
望の持ちすぎです。しかし、どう見て
も状況は絶望的です。というわけで私
は通告しました。
「あのさ。その男、大して気がないん
だよ」
グレッグ・ベーレント、リズ・タシーロ
『そんな彼なら捨てちゃえば』(2004)p.17-9
1994年に『諸君!』で発表した
「結婚難と経済成長」の中では、「女
性は自分や自分の父親よりも収入の
高い男性と結婚するのが当然だと思っ
ている。高度経済成長期はそういう男
性が簡単に見つかったからみんな早く
結婚した。けれども、経済成長が鈍り
低成長期になって、自分や自分の父親
よりも収入の高い男性の数が減り、結
婚相手を見つけることが難しくなって
、結婚は先延ばしになり、結果的にあ
ぶれて結婚できない男女が増えている
」と論じました。経済が高度成長から
低成長になった1975年以降に晩婚化
、すなわち未婚化が始まります。その
とき結婚をめぐって生まれた現象は、
収入の高い男性と結婚できる確率が低
下する、という経済条件の変化でした
。それでも、収入の低い男性と結婚す
るのを女性が厭わなければ、未婚化は
起こりません。けれどもそうはならず
、女性は収入が低い男性とあえて結婚
することはしない。つまり未婚化は、
結婚をめぐる意識は変わらないけれど
も「経済・社会環境」が変わったがた
めに生じた現象であり、経済の低成長
という構造的要因なので将来的にも結
婚できない人が増え続ける、というの
が私の主張だったのです。---
朝日新聞が2018年12月に行ったネッ
ト調査「未婚の若者の結婚観」では、
「結婚相手に譲れぬ条件」として、7
2%の女性が、「収入」を挙げていま
す。これに対して「収入」を条件に挙
げる男性は29%でした。「相手に求め
る年収」という質問には、女性の63%
が「400万円以上」と答えています。
そして関係ない」と答えた女性は19%
、男性は64%です。こうした男女の意
識の差(女性は6~7割の人が収入重視
、男性は2割くらいの人が収入重視)は
、じつは10数年前から変わっていま
せん。女性月刊誌「JJ」(2019年2月
号)の調査「JJ世代の結婚白書2019
」はもっと率直です。結婚相手の男性
の年収は700万円以上(1000万円以上
含む)と答えた女性が60%近くいて、
年収を気にしない女性は約8%にしか
過ぎません。JJ読者には夢見る女性
がまだ多いということなのでしょうが
、それにしても700万円以上というの
は、若い男性にとってはあまりにも現
実離れした高いハードルでしょう。も
ちろん、いままで女性が男性の経済デ
ータを重視しなかったわけではありま
せん。そうではなくて、経済データを
重視せざるを得ない状況ができてしま
ったということです。30年前の被雇用
者は、経済的に安定していました。と
ころがいまは、経済的に不安定な若い
男性が増えているので、経済データを
結婚相手の条件に挙げる女性が増えて
きたわけです。
山田昌弘
『結婚不要社会』(2019)p.27-8,157-60

ライオン『花嫁の父』篇(1991)

結婚が女性に保障してくれる三
大特典 保障された年収・達成義務か
らの解放・豊富な余暇時間 は、決し
て手放さず、その上に立って、社会か
ら認められ、仲間に羨ましがられる仕
事に就きたい。子どもがいても、生活
臭のない、社会と繋がった仕事をして
いたい。生活のための労働は、奴隷(
男)にさせ、自分は貴族のように意義
ある仕事を優雅にしていたい……。
---二人の認識が一致したのは、総合
職に就いても、女は結婚相手に経済的
に依存して、自分は「生活のためでは
なく、自己実現のための」仕事を目指
す生き物だということであった。「女
は真面目に働きたいなんて思ってませ
んよ。しんどい仕事は男にさせて、自
分は上澄みを吸って生きていこうとす
るんですよ。結婚と仕事と、要するに
いいとこどりですよ」と、彼女ははっ
きりとそう言い、私もその点に関して
は全く同意見なのであった。---男の
子は、正社員として就職できずにフリ
ーターになれば結婚できない。結婚で
きないで家庭を持てないから、就労意
欲が低下し、ますます離職が促進され
る。女の子は、正社員で就労意欲の高
い、ついでに給料も高い男性目指して
、「容貌偏差値」を上げるのに余念が
ない。しかし、「実用偏差値」はきわ
めて低い。料理を作ったことがない。
ご飯を炊いたことがないという女子は
多い。
小倉千加子『結婚の条件』
(2003)p.50,129-30,182-3
ダナの悩みはふたりのボーイ
フレンドだった。最近出会った彼にエ
ネルギーと情熱を注いで、(できるこ
となら)長くつづく関係を築くことも
できる。あるいは、消えかけているこ
れまでの彼との関係に時間と努力を注
ぎつづけることもできる。前の彼氏よ
り新しい彼氏のほうが好きなのははっ
きりしていたが、ダナはこれまでの関
係を手放すことができないでいた。そ
うこうしているうちに、新しい彼氏も
そわそわしはじめた。わたしはダナに
尋ねた。「きみは、そうまでして愛す
る彼を失う危険を冒したいのか? 新し
い彼とデートを重ねているうちに、や
っぱり前の彼のほうが好きだと気づく
かもしれないという万にひとつの可能
性のためだけに?」すると、ダナは首
を横に振り、「いやです」と答えて泣
き出した。---時間を無駄にするだけ
の委員会からは抜けよう。べつの生活
やちがうタイプの友人に移っていった
人たちにクリスマスカードを送るのは
やめよう。バスケットボールを観戦し
て、ゴルフとスカッシュをやって、し
かも家族をひとつにしておくだけの時
間がほんとうにあるのかと自問しよう
。ひょっとすると、いくつかスポーツ
をあきらめたほうがいいのかもしれな
い。このような扉は閉めなければなら
ない。そのままにしておくと、ほんと
うにあけておくべき扉からエネルギー
と献身を吸いとってしまうし、わたし
たちの気が変になってしまうからだ。
ダン・アリエリー『予想どおりに
不合理』
(2008)p.248-9,259-60
『Sex and the City』は、
ニューヨークで働く4人のキャリア・
ウーマンの生活を描いたものですが、
その中のあるエピソードがこのジレン
マを描いています。主人公のひとりは
弁護士として活躍しています。しかし
、自分のキャリアを聞くと、多くの男
性がしっぽを巻いて逃げるのを経験し
てきた彼女は、あるとき客室乗務員の
ふりをして男性がどんな反応をするの
かをみることにしました。このやり方
は成功し、男たちはいまだかつて彼女
が経験したことのないほど、情熱的に
アプローチしてきたのです。この女性
キャラクターは、かなり頭にきている
様子でしたが…。このエピソードか
ら女性の受けるプレッシャーの一つが
明らかになります。「自分の成功をひ
けらかすな。そうすれば、彼との関係
を築くチャンスもできる」と。
リンダ・バブコック、サラ・
ラシェーヴァー『そのひとことが
言えたら…』
(2003)p.129
映画『プリティ・ウーマン』が興行的にあれほど成功したのは、一部にはこの神話が反響しているからだと説明できるのではないだろうか。あの映画でリチャード・ギア演じる登場人物は、自分の富へのアクセスと引き換えに、ジュリア・ロバーツ演じる登場人物から提供されるものを得ようとする(見逃した方のために言っておくと、彼女は娼婦だが、清い心を持つ女性という役どころだ)。注意していただきたいのは、彼女が差し出すものが、清い心、テキサス州ぐらい大きな笑顔、長くて美しい両脚、そして、それを今後は彼のためだけにしか開かないという真剣な約束だけだったということだ。『プリティ・ウーマン』のすごいところは、何百もの映画や本で隠されてきたことを、あからさまに見せたところにある。その理論によれば、女性は意識しなくとも、また恥を覚えることもなく、性的快楽と、男性の富や庇護、地位、その他自分の子どもにとって役に立ちそうな財産を交換するよう進化してきたことになる。
 つまりダーウィンは、あなたの母親は娼婦だと言っているのだ。その点は明快である。
クリストファー・ライアン、カシルダ・ジェタ『性の進化論』(2010)p.77
私は独身という麻薬の中毒状態にあります。独身お楽しみジャンキーのまま、今年40歳になりました。「誰もが普通に年を重ねていけば、結婚して、家や車が手に入る時代は終わった」と言われてしばらく経ちましたが、それでもまだ、結婚したほうが幸せだという風潮はなくなりません。以前はもっとそうでしたから、未婚のまま40にでもなったら、さみしくて、みすぼらしくて、それでも強がって生きるのだと思っていました。周りから憐れまれながら、自分のためだけに働いて、自分のためだけに行きていくのだと。
ジェーン・スー『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(2013)p.230
男子学生の結婚の条件
(中略)結婚相手に求める条件として「金遣いが荒くなく、子ども好きで、美人」と書いてくるのがよくある。金遣いが荒くない人というのは、学生が自分の将来の収入が低いことを悟っているようで、なにか胸が熱くなる。しかし、できれば専業主婦として家にいてほしいという希望はとても強く、自分(夫)の稼ぎの中でやりくりして工夫してほしいという希望は、妻に経済力があれば自分が大切にされなくなるという、オスとしての動物的直観のようにも思える。子ども好きと言う場合の子どもとは、もちろん自分(夫)の直喩なのだ。僕を大切にして、僕を可愛がって、という希望には、ハイハイと言うしかないが、そこに突然美人と来ると、オイオイと思う。もっとも、「自分のような男に美人が来てくれるはずはないが」とか、書き足してあると、また切なくなってしまうのである。---
女子学生の、結婚願望を紹介する。
「私が結婚相手に望む経済力は、そんなに大きなものではありません。ただ私と子ども二人が安心して暮らせる程度でいいのです。子どもには小さいときから習い事をさせてやりたいです。お金がないからといって子どもにみじめな思いをさせるのだけは絶対にいやです。そして、子ども二人を私立大学に行かせてやれるくらいの給料は求めます(だって、私もそうしてもらったので当然だと思います)。月に一回は外食し(もちろん廻るお寿司ではなく、お洒落なイタリアンとかです)、年に一回は海外旅行に行く。そういう程度の経済力です。私には玉の輿願望はありません。私の両親が夫の両親に対し、肩身の狭い思いをするのはいやなので、軽い玉の輿程度で十分です。もちろん夫は真面目に働く人でないと困ります。ちょっといやなことがあると会社を辞めるとかされたりすると、とても困ります。それから、土曜日には子どもを連れて公園でサッカーしたり、川の堤防の下でキャッチボールしたりするのを、私は堤防の草むらに坐って眺めるのが夢です。それから、煙草を吸う人は絶対にお断りです。本人よりも周りにいる私や子どもたちの受動喫煙が怖いからです。家族(子どもと私の両親)を大事にして、結婚記念日とかは絶対に覚えていてくれないといやです。あとDVとかして、暴力を振るう人ももちろんお断りです。まだ、他にもありますが、先生が三つまでと言われたので、このくらいにしておきます」
 言っておくが、これは学生の書いたものを合成したり、特定の個人のものを意図的に抽出したりしたものではない。みんなみんな、こう書いてくるのである。なんでここまで同じなのか、私が聞きたいくらいである。この女子学生の結婚願望を男子学生に紹介すると、教室中に「冬虫夏草」みたいな菌糸状のものが浮遊する。漠然とした怒りと不安めいたものだ。
 こういう、学生の書いたものを何年も多数読んできて、私はこの国の晩婚化は止まらないと思ったのである。今は、まだ晩婚化で済んでいるが、これから非婚率の上昇も必至である。就職難と結婚難が、双子になってやってくる。
 男の子は、正社員として就職できずにフリーターになれば結婚できない。結婚できないで家庭を持てないから、就労意欲が低下し、ますます離職が促進される。女の子は、正社員で就労意欲の高い、ついでに給料も高い男性目指して、「容貌偏差値」を上げるのに余念がない。しかし、「実用偏差値」はきわめて低い。料理を作ったことがない。
小倉千加子『結婚の条件』(2003)p.181-2,183-5

『幸福の条件』(1993)のダイアナ・ベナブル

『素顔のままで』(1996)のエリン・グラント

『ショーガール』(NC-17 1995)の
ノエミ・マローン

どんな社会にも、ふしだらな女、あばずれへの罰がもうけられている。現代の私たちの社会は、一見ふしだらな女も許すふりを装う。少女時代について友人たちに話が聞きたくて故郷の街に帰った夏、セックス産業を扱ったハリウッド映画が洪水のように封切られていた。『幸福の条件』『素顔のままで』『ショーガール』が『プリティ・ウーマン』に続いて上映されていた。デミ・ムーアが『素顔のままで』でストリッパー役を演じるために毎日何時間も練習を重ね、演技をより本物らしくするためにストリップダンサーたちと親しくつき合い、ショーに通っているという記事をティーンエイジの少女たちが読んでいた。
 サンフランシスコのすぐ北のマリン郡の丘をドライブしていたとき、青春期をともにすごしたある若い女性に、そういった映画の感想を聞いた。彼女はセックス労働者であり、最初はストリッパーとして、のちには高級娼婦として働いていたために、仲間の誰よりも彼女の意見はより示唆に富んでいた。私たちがおかれている矛盾を彼女は体現していた。大学卒で、幸せな結婚をして、地域に貢献しており、黒い豊かにカールした髪と仕立てのよいスーツを着て、上品な笑いを浮かべている-私たちのほかの誰とも外見上はまったくかわらない。だが社会的規準に照らしあわせてみると、彼女は正真正銘の、偽りのない、骨の髄からの、議論の余地のないあばずれだった。そう呼ばれて当然のことをすべてやっている。悪い娘、いい娘-その二面性は幻想なのだ。ドライブしている車の中にはいい娘と悪い娘の両方がいた。彼女自身の中に、私にも、そして私たち全員の中にも。
ナオミ・ウルフ『性体験』(1997)p.150-1

<美の神話と不公平>

『エマ』(1996)のジェーン・フェアファックス

『エマ』(1996)のエマ・ウッドハウス

『ミドルマーチ』(1994)のロザマンド・ヴィンシーとドロシア・カソーボン

『マンスフィールド・パーク』(1999)のメアリー・クローフォードとファニー・プライス

『ノーサンガー・アビー』(2007)のイザベラ・ソープとキャサリン・モーランド

『若草物語』(1994)のエイミー・マーチとジョー・マーチ

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019)のエイミー・マーチとジョー・マーチ


女性作家の書く作品は美の神話を逆手にとる。女性文化の大作家たちは、みな輝きを求め、意味のある美を求める。過大評価された美と、過小評価された、いわゆる魅力的ではないが生き生きとしたヒロインとの闘いが、女性の書く小説の中心となる。それは『ジェーン・エア』から今日のペーパーバック・ロマンスにまで及ぶ。派手で意地悪なライバルが巻き毛をなびかせ、深い胸の谷間をちらつかせているのに対し、ヒロインはただ瞳に生気をみなぎらせているばかりで、ヒーローにヒロインの真の美しさを見つける能力があるかどうかが、主に問われることになる。
 この伝統は女を対決させる。ジェーン・オースティンの『エマ』では、美しく退屈なジェーン・フェアファックス(「ミス・フェアファックスとあの色白(フェア)の顔とは切り離して考えられない」)と、鋭敏なエマ・ウッドハウス。ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』では、軽薄なブロンド娘ロザマンド・ヴィンシー(「どんなに素敵でも、最高のジャッジに見てもらえなければ何にもならないわ」)と、「修道女のような」ドロシア・カソーボン。ジェーン・オースティンの『マンスフィールド・パーク』では、小手先だけの「抜群にきれいな」イザベラ(訳文ママ)・クローフォードと、控えめなファニー・プライス。同じくオースティンの『ノーサンガー・アベイ』では、流行を追う無情なイザベラ・ソープと、「女の美しさが何になるのか」よくわからないキャサリン・モーランド。シャーロット・ブロンテの『ヴィレット』では、ナルシスト気味のジネヴラ・ファンショー(「今夜の私、どう?……きれいでしょ」)と、目立たないルーシー・スノウ(「鏡に映った自分を見た。……ぼんやり情ない姿が嫌だった」)。ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』では、虚栄心の強い「優雅な彫像のような」エイミー・マーチと、家族を助けるため自分の持っている「たった一つの美しいもの」である髪の毛を売ってしまう男の子みたいなジョー。この伝統は、今日のアリソン・ルアリーやフェイ・ウェルドゥンやアニタ・ブルックナーなどの小説にまで、脈々と続いている。女性作家の作品には、美による不公平が、悲しいほどに満ち満ちているのだ。
ナオミ・ウルフ『美の陰謀』(1990)p.87-8

※このページは、西口敦『普通のダンナがなぜ見つからない?』(2011)を参考にしました。

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