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実験・効果

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ミリケンとモリソンの調査で
繰り返しあきらかになるのは、人々が
職場で黙りこみ、見て見ぬふりをして
いる様子だ。理由は衝突を起こしたり
、トラブルメーカーになったりする(
あるいはそのレッテルを貼られる)の
がいやだからだ。みな現状に満足して
いないが、黙っていることによってそ
のままの状態を続け、現状は変えられ
ないと信じている(それによって変わ
らない状況をさらに確実にしている
)。「みな問題があるのはわかってい
るわ」インターネットのコンサルティ
ング会社に勤める若い女性はいった。
「けれど、誰もあえていわない。たく
さんの人が辞めたわ。なにかいっても
変わると思わなかったんでしょう」
マーガレット・ヘファーナン
『見て見ぬふりをする社会』(2011)p.140-1
多元的無知とは、社会心理学
の用語で、同じ社会で暮らす多くの人
々が受け入れていない価値観について
「自分以外は受け入れている」と思い
込んでしまう状態のことである。
Enpediaより
2010年にスタインバーグが行
った独創的な実験の結果を見てみよう
。実験の対象に選ばれたのは、14歳
から18歳までのティーン14名、大学
生14名、24歳から29歳までの大人12
名である。計40名の協力者たちは、
fMRIを装着したまま、6分間のドライ
ブゲームを4回行った。ゲームの目標
はスタートからフィニッシュまででき
るだけ速く走り抜けることである。途
中何回か交差点に差しかかり、信号が
さまざまなタイミングで黄色に変わる
。プレーヤーは突っ走るかブレーキを
踏むかをその都度判断しなければなら
ない。赤信号で止まるよりは突っ走っ
た方が良いスコアが取れるのだが、う
まく走り抜けないと衝突事故が起き、
制限時間オーバーよりもはるかに大き
なペナルティを課せられる。つまりこ
のゲームはプレーヤーにリスクを冒す
ことを促しながら、行きすぎを戒めて
いるわけだ。fMRIが振動したりビー
ッという音を立てたりしている中で、
それぞれのプレーヤーは初めは1人で
、そして次には、同性の友達2人に隣
の部屋から見られながらプレーした。
仲間が見ていることは本人も知ってい
る。その結果、大人と大学生の場合は
、友達が見ていてもいなくても同じよ
うにプレーし、リスクの冒し方も同様
だった。しかし、14歳から18歳のテ
ィーンたちは、友達が見ていると、よ
り多くの黄信号を無視し、より多く衝
突事故を起こした。しかも、fMRIを
見ると、感情のスイッチを司る部分や
、報酬に反応する神経系が、より強く
活性化していた。明らかにティーンエ
イジャーたちだけが、友達が見ている
ことによって、脳が当然発していたは
ずの警告を無視したのである。スタイ
ンバーグはこの実験結果について、「
思春期の子どもたちが、1人ならする
はずのないような愚かな行為を、友達
と一緒だとやってしまう有力な原因を
示した」と話している。いじめにも、
これと同じ原理が働いている。いじめ
のピークは中学生の時であり、高校生
になってもいくらか残るが、大学生に
なるととたんに激減する。「ティーン
エイジャーが、いじめを行うことが仲
間内での自分の立場を強める『いじめ
の報酬』と考えている限り、彼らはそ
れが長期的にもたらすコスト(負の結
果)のことを考えようとしません」と
スタインバーグは私に語った。「いじ
めの多くは、他の子どもたちの目の前
で起こる。つまりいじめっ子がいじめ
を行う主な理由は、他の子どもたちか
ら注目を浴びて、称賛されたいからで
す。だから彼らは、このできごとがい
じめられた子や自分たち自身にどんな
結果を及ぼすかということまで考えが
及ばない」
エミリー・バゼロン『ある日、私は
友達をクビになった』
(2013)p.72-4
クーポンを集計した結果、驚
くべき事実が判明した。6種類の試食
に立ち寄った客のうち、ジャムを購入
したのは30%だったが、24種類の試食
の場合、実際にジャムを購入したのは
、試食客のわずか3%だったのだ。大
きな品揃えの方が、買い物客の注目を
集めた。それなのに、実際にジャムを
購入した客の人数は、小さな品揃えの
方が6倍以上も多かったのである。こ
の結果を店長に伝えると、かれはその
意味について考え込んでしまった。ド
レーガーズでのお買い物体験が圧倒的
だということには、文句のつけようが
なかった。しかしこの結果は、店の運
営方法にどんな意味を持つのだろう?
豊富な品揃えを見て圧倒されることこ
そが、ドレーガーズに行く目的だとい
う人が多かった。ドレーガーズへ行く
ことは、単なる買い物ではなく、娯楽
でもあったのだ。でも店が繁盛するに
は、ただ訪問客や見物人を集めるだけ
ではだめだ。店に来て手ぶらで帰って
いく客の大半を、お金を使ってくれる
顧客に変えなくてはならない。それな
のに、素晴らしい品揃えは、購入客よ
り、ただの見物客を引きつけるようだ
った。豊富な品揃えで店に呼び込んだ
買い物客は、土産にジャムの一びんも
買わずに帰ることも多かった。一体ど
うすれば、このような事態を避けられ
るのだろう?
シーナ・アイエンガー
『選択の科学』(2010)p.230
介入の代価はといえば、心理的
であると同時にまた物質的側面のもの
もある。直接の身体的危険、不快、ま
たは長期にわたっての法律とのかかわ
り合い、恐怖や困惑もあるだろう。代
価をこれといって予測するわけにはい
かないのだ。こうして、個人は自責に
よる心理的不快とか、非難されるかも
しれないという恐れ、未知の身体的な
危険、法律的なかかわりあいをどうし
ようかという思いなどを、てんびんに
かけてみることになる。一方、報酬の
方はあまり多くはない。もともと緊急
事態などというのは、それによって利
益を得る者はいないものである。介入
を行なわない傍観者はもちろん報酬を
期待するはずもない。介入した者も、
新聞に書かれるとか現金で謝礼をもら
うとかがせいぜいのところであろう。
しかし、それとても、実際に緊急事態
が深刻なものであって、彼の介入行為
が「義務をこえた」ものであり、しか
もそれが成功した場合に限るのだ。英
雄的な行為のために自分が重大な損害
を受けたりすれば、報酬を受ける可能
性は多少は大きくなる。しかし、たい
ていの場合介入者が期待できるのは、
あわただしい「どうも」ということば
だけである。報酬は期待できずしかも
代価のみ多いということになると、傍
観者は、そのどちらをとってもかんば
しくない2つの道の選択に当面するわ
けである。介入を行なわなければ同情
したり、恥の意識や罪悪感に悩んだり
するだろうし、介入すれば、より実質
的な損害をこうむって苦しむことにな
る。そのうえ、世間のもの笑いになる
かもしれない。
ビブ・ラタネ、ジョン・ダーリー
『冷淡な傍観者』(1970)p.124-5
社会的学習の別の影響源は、
テレビや映画その他の視聴覚的展示物
によって提供される非常に多くのまた
様々な象徴モデルである。子どもも大
人もこれらのモデルを見ることによっ
て、態度、情動反応及び複雑な行動パ
ターンを習得することができることを
証明する多くの研究がある。人々が長
い時間、テレビのモデルを見るのに費
やしていることを考える時、マスメデ
ィアが行動や社会的態度の形成に重要
な役割を演じていることがわかるだろ
う。(中略)そのような型の象徴モデル
がますます使用されるにつれて、親、
教師、その他伝統的役割モデルの果た
す役割は、社会的学習において次第に
影が薄くなっていくだろう。
アルバート・バンデュラ
「モデリング過程の分析」
『モデリングの心理学』(1971)所収p.46-7
トム・ギロビッチらは、人は
ギロビッチが「スポットライト効果」
と呼ぶ現象にとらわれることを実証し
ている。
ある典型的な実験では、研究チームはまず、芸能人をTシャツにプリントするとしたら誰が一
番イケてないのか調べた。調査は1990年代後半に行われたもので、あまりありがたくない栄
誉に輝いたのは、歌手のバニー・マニロウだった。ある学生が実験にやってきたとき、バリ
ー・マニロウの写真が胸にデカデカとプリントされたTシャツを着るように告げられた。その
後、質問表をせっせと埋めている別の学生グループに加わるように求められた。一分くらいた
った後、実験者が戻ってきて、例のTシャツを着ている学生に、考えが変わったので別の研究
に加わってほしいと告げた。学生と実験者は部屋から出た。そしてこの時点で、学生に対し、
部屋にいたほかの学生のうち何人が彼のTシャツに誰の写真がプリントされていたか特定でき
るか推測するよう求めた。推測値の平均は半分弱の46%だった。実際には、Tシャツに誰の写
真がプリントされていたか答えられた学生は21%しかいなかった。
(中略)
実験の教訓はこうだ。人はあなたが思
っているほどあなたを注意して見てい
ない。シャツに染みがあっても気にし
なくてよい。たぶん誰も気づかない。
しかし、人は誰もが自分のことを注視
していると考える。それが一因で、人
々があなたがそうすると期待している
だろうと思うことに同調するのである。
リチャード・セイラー、キャス・サンステ
ィーン『実践 行動経済学』(2008)p.102
有名なオーケストラの新入団員
を決めるブラインド・オーディション
の登場がそれを鮮やかに示してくれる
。ハーバード大学の経済学者クラウデ
ィア・ゴールディンとプリンストン大
学のセシリア・ローズがついたてを隔
ててオーディションを行う実験をした
ところ、演奏の評価が性別の影響を受
けず、女性が一次審査を通過する確率
が50%上がった。そして最終審査では
300%も上がったのだ。アメリカでは
覆面オーディションが一般的になった
結果、全体の5%しかいなかった主要
なオーケストラの女性演奏家の数が
36%に増えた。
マーガレット・ヘファーナン
『見て見ぬふりをする社会』(2011)p.27
アメリカ人に「あなた
には、周りの人とどれくらい似たとこ
ろがありますか?」と尋ねてみれば、
「それほどない」という答えが返って
くることは、まずまちがいない。だが
この同じ質問を逆さにして、「周りの
人たちは、あなたとどれくらい似たと
ころがありますか?」と聞けば、かれ
らの判断する類似度は大幅にアップす
るだろう。どちらの質問も、要は同じ
ことを聞いているのだから、本来なら
答えも同じはずだ。それなのにわたし
たちは、自分は並み以上で、周りに流
されていないと信じるように、質問の
しかた次第で惑わされてしまう。
シーナ・アイエンガー
『選択の科学』(2010)p.112-3
新聞記者のジーン・ワインガ
ーテンは、世界でも指折りのバイオリ
ン奏者と目されるジョシュア・ベルに
ある依頼をした。朝のラッシュ時に、
ワシントンDCのメトロの駅でストリ
ートミュージシャンのふりをして、古
今の名曲中の名曲を何曲か演奏しても
らえないかと頼んだのだ。人々はこの
男がたいていの流しのミュージシャン
よりうまいことに気づくだろうか。立
ちどまって耳を傾けるだろうか。通り
すがりに1,2ドル、投げいれていくだ
ろうか。あなたならどうだろう。(中
略)通りすぎていった人たちにインタ
ビューすると、まったく音楽に気づか
なかったか、よくあるクラシック音楽
を演奏する平均的なストリートミュー
ジシャンよりほんの少しましに聞こえ
ただけだという回答だった。まさか世
界一流の音楽家が、メトロの駅で華麗
なる名演を披露していようとはだれも
思わなかったわけだ。そのため、たい
ていの人にはそんな名演が聞こえてく
ることもなかった。
ダン・アリエリー
『予想どおりに不合理』(2008)p.288-9
刑務所というのは自由の
喪失だ。象徴的な意味でもね。
なぜワンピースを着させる?
違うんだ。個性をはぎ取りたい。
女性化させたいんだ。
女性化?
彼らを彼らたらしめているものを
すべて奪うということだ。
ティム・タルボット『プリ
ズン・エクスペリメント』
(2015)
ソーシャル・キャピタル
社会・地域における人々の信頼関係や
結びつきを表す概念。抽象的な概念で
、定義もさまざまだが、ソーシャルキ
ャピタルが蓄積された社会では、相互
の信頼や協力が得られるため、他人へ
の警戒が少なく、治安・経済・教育・
健康・幸福感などに良い影響があり、
社会の効率性が高まるとされる。直訳
すると社会資本だが、インフラを意味
する「社会資本」とは異なる。
社会関係資本。
コトバンクより
モノローグは、「女性がみな
強く、男性はみなハンサムで、子ども
たちがみな平均以上に成績がいいレイ
ク・ウォビゴンからのニュースを、こ
れで終わります」というきまり文句で
結ばれるが、この台詞から、すべての
学生の成績が平均以上というまれな現
象をさす冒頭の"レイク・ウォビゴン
効果"という語が生まれた。
ギャリソン・キーラ
『レイク・ウォビゴンの人々
(作家と作品について)』
(1985)
最近では『Nature Index』誌
が日本の学術研究力の低迷を取り上げ
、著者にもコメントが求められました
。また、日本の報道機関も日本の研究
力の低迷に関心を抱くようになり、著
者のデータも引用されるようになりま
した。各種の雑誌の特集記事も組まれ
ています。また、2018年3月28日の国
会(文部科学委員会)において、自民党
議員によって、科政研による論文数の
データとともに、著者の文献が引用さ
れて、政府に対して質問がなされてい
ます。さすがに、ここまで日本の大学
の研究競争力がひどい状況になると、
国民の皆さんも危機感を感じざるをえ
なくなってきたということでしょう。
豊田長康
『科学立国の危機』(2019)p.16-7
新しいことを始める際には、様
々な批判やトラブルにさらされること
がある。実際、カワサキ ハロウィン
も、商店街を巻き込んでいくにあたり
、様々な障害があり、それらを1つひ
とつ解決しなければならなかったが、
現在は12万人の来場者を誇る大きな
イベントに成長した。このプロセスに
見られたのが、スリーパー効果である
。スリーパー効果とは、信用できない
と思っていた情報源について、時間が
経つにつれて、そうしたネガティブな
感情が薄れて、その情報源が発信する
情報内容が記憶に残ることを指す。
 カワサキ ハロウィンは開始当初、
自治体や警察、現地の商店街からクレ
ームが来るなど、地元ではあまり評判
が良くなかったという。しかし、来場
者数が増えて地元に与える経済効果が
高まったことや、主催者が治安やマナ
ーに注意を払い続けたことが功を奏し
たということもあり、月日が経った今
では、川崎駅を囲む複数の商業施設や
地元の商店街などが開催に協力すると
いった、非常に肯定的な反応を示して
いる。これは、一種のスリーパー効果
があった可能性が高い。
松井剛『ジャパニーズ
ハロウィンの謎』
(2019)p.103-4
心理的リアクタンス
心理学者ジャック・ブレームが提唱し
たもので、個々人によってコントロー
ルできることが減っていくとき、人は
どう反応するかを説明しています。こ
の理論によると、自由な選択が制限さ
れたり脅かされると必ず、何としても
それを守らなければとの思いから、自
由(とそれにともなう物やサービスも
)を手に入れたいとの思いが、以前に
も増して強くなるのです。---
 児童心理学者がその傾向を逆にたど
ったところ、自主性が芽生えだし、親
が頭を抱えだす、いわゆる”魔の2歳児
"のころからです。ほとんどの親がこ
ぼしているように、このころの子ども
は一事が万事言うことをきかなくなっ
てきます。どうやら2歳児は、外界、
それも特に親からのプレッシャーに逆
らうことにかけては超一流です。何か
するように言えば、それと反対のこと
をする。オモチャを与えれば、ほかの
オモチャをほしがる。子どもが望んで
いないときに抱きあげようものなら、
むずがり、もがいて、おろせと抗議す
る。逆に望まないときにおろせば、爪
を立て、足をばたつかせて抱っこをせ
がむ、というわけです。---
 心理的リアクタンスが最も顕著に見
られるのは魔の2歳児かもしれません
が、2歳児にかぎらず人にはいつでも
、行動の自由を規制されると強烈に反
抗する傾向が見られます。とはいえ、
それが傑出している年齢は2歳児以外
にもあります。こうした傾向が特別な
反抗の形となって現れる年代、ティー
ンエージャーです。2歳児同様、この
年代の特徴も、新たに芽生える自我の
意識です。ティーンエージャーにとっ
ては変化の時期で、つねに親の支配が
つきまとってきた子どもの役割から、
すべての権利と義務をともなう大人の
役割へと移行していきます。そして大
人になりたての若者が、義務よりも権
利のことばかり考えたがるのも当然で
しょう。この時期、典型的な親の権威
をふりかざすのは往々にして逆効果と
なるのです。
ロバート・B・チャルディーニ『影響
力の正体』
(2006)p.347,348-9,350-1
プロが「イエス」と言わせるた
めに駆使している手法は千差万別です
が、大半が、6つの普遍的なカテゴリ
ーに分類できます。いずれのカテゴリ
ーも基本的な心理学のルールにのっと
っていて、そのルールが絶大な力で人
々の行動を誘導しているのです。(中
略)6つのルールは、恩義、整合性、
社会的な証拠、好意、権威、希少性で
す。こうしたルールが、社会でいかに
働くのか、そして、ルールを駆使して
購入や寄付、譲歩、投票、同意などを
求めてくるプロたちが、個々のルール
に秘められた巨大な力をどう使ってい
るのかを解説します。
ロバート・B・チャルディーニ
『影響力の正体』(2006)p.5-6
ドレアクとスタインはウェブサ
イトを通じて、300の異なる地域で新
しいiPodを売るという広告を出した
。広告の内容は販売する製品、価格を
はじめ文字の部分はほぼ同一だった。
違いは見せ方の部分だ。一部の広告の
写真にはiPodを持つ黒人の手のひら
と前腕が写っており、他には白人の手
のひらとタトゥー入りの前腕、白人の
手のひらときれいな前腕というパター
ンもあった。
 黒人の腕が写った広告に集まったオ
ファーの数は少なく、提示された金額
も低かった。この結果は(少なくとも
部分的には)嗜好にもとづく差別に起
因する可能性があるが、広告への返信
を見ると、反応に違いが生じた原因は
主に統計的差別であることをうかがわ
せる点がいくつかある。
 第1に、黒人の手の写った広告への
返信は、タトゥー入りの白人の手が写
ったものとほぼ同数だった。タトゥー
への否定的反応が嗜好にもとづく差別
に起因する可能性は低いので、タトゥ
ーとアフリカ系アメリカ人に対する同
じような反応は統計的差別に起因する
、というのがドレアクとスタインの解
釈だ。第2に、オファーの差異が最も
大きかったのはアフリカ系アメリカ人
の住人が少ない地域、あるいはマイノ
リティによる犯罪率が特に高い地域で
あり、これは買い手がマイノリティに
対して敵意を持っているというより、
単に恐れていることを示唆する。
ポール・オイヤー『オンラインデート
で学ぶ経済学』
(2013)p.123-4
日常生活の態度を形成している[背後]期待は、社会の「内部から」見られた、
実際上の日常的な組織や諸活動に対する制度化された共通理解を構成している。
したがって、これらの期待を変更すれば、社会の成員にとって現実の状況は変更
されるはずである。つまり、このように諸期待を変更することにより、現実の諸
対象からなる知覚された一状況は変換されることになる。
 日常的な諸期待としての背後の基盤はさまざまに変更されうるが、その一つ一
つの領域について、さらに深く研究を行なわねばならない。これら各々の変更は
この変更に対応して、それぞれ行動状況の客観的構造をも変換してきた。驚くべ
きことにも、こうした背後期待のさまざまな集合やそれらが構成するさまざまな
客観的状況を、われわれはほとんど認識していないのである。
 このような変更の一つに、行動様式の変更により、現実の諸対象からなる状況
を変更する場合がある。遊び・劇での演技・重要な儀式・宗教的な回心・議事進
行・科学的研究などがこの変更に該当する。また、第二の変更は、現実の諸対象
の状況をある媒介的な手段により変換することによって生みだされる。実験的に
誘発される異常な精神状態・極度の疲労・重度の感覚障害・脳損傷・前頭葉ロボ
トミー・幻覚剤、これらにより生じる変更がそれである。第三の変更は新生児の
学習である。これは文字どおり世界の拡大をともなっている。つまり、この変更
は「能力ある成員ならだれでもが見ることのできる」といった人びとの状況の客
観的な特徴を生みだすことを目指しているのである。世界の拡大は、成長過程に
ある成員が徐々に、能力のある社会成員の「物事を見る」見方に、つまり日常生
活の態度に、進んで従うようになること、またはなりうることを必然的にともな
っているのである。四組目の変更は、成人の社会化にともなうものであり、これ
は白紙状態からの体験を欠くことで新生児の学習とは区別される。さらに上記以
外の変更としてさまざまな異化が考えられる。それは、文化的な異邦人・軽度も
しくは重度の精神障害・犯罪として責任を問われる名誉毀損といった諸現象、そ
れに、精神的な発達の遅れや老化にともなう社会的に適応できなくなる宿命や、
広く一般的に「疎外」論のテーマとして論じられているさまざまな現象を含むこ
とになろう。変更は、いたずらや冗談として引き起こされることもあれば、本気
で引き起こされることもある。また、罪を犯し他者に危害を加えても「罰せられ
る」ことはないかもしれないと悟るようになった病質的な老獪さによっても引き
起こされる。さらに次のような場合にもこの変更が生じる。つまり、青年期には
強固で同質的だったと思われていた共通の社会的秩序は、実は亀裂をもっている
のみならず、その強固さは絶え間なくそのつど作り変えられていくといったこと
、このことがわかるにつれそれは生みだされるのである。最後に、社会の動きと
しての社会科学の発達による常識的世界の発見と、常識的世界の合理化から生ず
る変更が存在している。
ハロルド・ガーフィンケル『日常活動の基盤 当り前を見る』『日常性の解剖学』所収(1964)p.86-7

『デートライン 教室における微妙な性差別』
(画質悪い)[Part 1]

『デートライン』は二日間教室で撮影をし、それから私たちに電話をよこした。プロデューサーはこう言った。「公平な先生じゃありませんか。この先生の授業には性差別のかけらもありません。これでは番組の中で、差別の実態を見せようにも見せられません」。私たちはワシントンのNBCのスタジオに駆けつけ、『デートライン』のスタッフ二人に会った。二人とも学校での差別問題に関心のあるインテリ女性だった。暗くした部屋の床に座って、あの五年生の授業のビデオを観ていた。「何回も繰り返して観ています。あの先生、いい先生ですよ。教え方に差別なんかまったくありません。ほら、観てください」
 20分ほど観てから私たちは、ああいつものケースだなと思った。番組が打ち出している性差別のテーマやビデオに撮られている差別の実態は、どれもこれもお馴染みのものだった。教師も優秀だった。しかし、この先生は受け持ちの子を二分して、その一方の側により強い印象を与えるように振る舞っていた。実際、この教師こそ、私たちがこれまで見てきた女子生徒よりも男子生徒の方を丁寧に教える、あちこちにいる教え方の巧みな、善意に満ちた教師たちの典型的な見本であった。
 私たちは、微妙な性差別とはどのようなものかを知らなければ、差別はなかなか見つけられないものであると説明するのを忘れていたのだ。言うなれば、『デートライン』のスタッフは目隠しされていたのだ。テープを止めて、性差別的な言動部分を指摘し、その部分と私たちの調査実態とを結びつけて説明し、再びテープを回した。人々がやっと「わかって」くると、「ああ、そうか」という周知の教育効果が現れる。無意識の差別が潜んでいる授業の内実を一度理解すれば、事情を知った観察者の目には教室は別物に映ってくるのだ。
マイラ&デイヴィッド・サドカー『「女の子」は学校でつくられる』(1994)p.20-1
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↓↓真ん中の印を見続けてください。↓↓

↓↓真ん中の印を見続けてください。↓↓

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原告たちの夢は金持ち
になることじゃないの。あの人た
ちの願いは子どもがプールで泳ぎ
回る姿をなんの心配もせずに見て
いたいということなの、つまり、
依頼人のローザ・ディアスみたい
に20歳で子宮を摘出したり、もう
1人の依頼人のスタン・ブルームの
ように脊椎障害にならないことなの。
スザンナ・グラント
『エリン・ブロコビッチ』(2000)
意味のあるものなんて何もない
それはずっと前からわかってた
だから何をしたって無益だと
たった今、気がついた
ヤンネ・テラー
『人生なんて無意味だ』(2000)p.6
アメリカはいまだ質的に異なった国である。繰り返して言うが、アメリカ例外論は相反する二つの意味を持った考え方であり、アメリカが外国より優れているということではない。アメリカは他の国とかけ離れた国なのである。世界のどの国と比べても、アメリカは宗教的、楽観的、愛国的であり、権利志向型、個人主義的な国である。犯罪に関していうなら、その発生率は世界一で、受刑者数も最高である。訴訟については、人口比でみた弁護士の数は世界一であり、その不法行為や不正行為も多い。有権者の投票率は世界最低に近いが、その一方でボランティア団体への参加率は世界最高である。アメリカはいまだ実質所得、労働者の生産性、大学・大学院への進学率・卒業率の面で世界一を誇っている。専門職をはじめ社会的に身分の高い職業へ上方移動していく面でも、アメリカは世界のリーダーであるし、余暇より仕事を重視するという点でもトップクラスである。しかしそのアメリカが、所得分配の点では先進国中で最も不平等であり、福祉支出では最低の部類、貯蓄は最低、税率でも最低である。次の章から詳しく述べるが、同じアメリカといっても、肯定的な面と否定的な面が隣り合わせで同居していることを示しているのが、アメリカ例外論なのである。
シーモア・M・リプセット『アメリカ例外論』(1996)p.30-1
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古いものも新しいものも、それ
自体だけでは興味をひかない、という
事情があります。ただ古いだけのもの
はつまりません。ただ新しいだけのも
のは全然心に訴えて来ないのです。新
しいものの中における古いものこそ注
意をひきつける力のあるものです。す
なわち少しばかり新しい方向を示して
いる古いものであります。(中略)興味
を呼び起す教師のもっている天分とは
、生徒の心をすでに自動的にとらえて
いるものが、いかなる種類の素材であ
るか、ということを生徒の身になって
見て明察する力、及びその素材から新
たに学ばるべき事項へと連絡してゆく
進路を発見する才能、にほかならない
のです。この原理を理解することは容
易ですが、それを完全に行うことはき
わめてむずかしいのであります。
ウィリアム・ジェームズ『心理学について 教師と学生に語る』(1899)p.109-10

チップ・ハース、ダン・ハース『アイデアの
ちから』(2007)成功するアイデアを作るため
のチェックリストは「単純明快」「意外性が
ある」「具体的」「信頼性がある」「感情に
訴える物語」

レッド・オーシャンでは各産業
の境界はすでに引かれていて、誰もが
それを受け入れている。競争のルール
も広く知られており、各社ともライバ
ルをしのいで、限られたパイのうちで
きるだけ多くを奪い取ろうとする。競
争相手が増えるにつれて、利益や成長
の見通しは厳しくなっていく。製品の
コモディティ化が進み、競争が激しさ
を極めるため、レッド・オーシャンは
赤い血潮に染まっていく。対照的に、
ブルー・オーシャンは市場として未開
拓であるため、企業は新たに需要を掘
り起こそうとする。利益の伸びにもお
おいに期待が持てる。ブルー・オーシ
ャンの中には、これまでの産業の枠組
みを超えて、その外に新しく創造され
るものもあるが、大多数はレッド・オ
ーシャンの延長として、つまり既存の
産業を拡張することによって生み出さ
れる。
W・チャン・キム、レネ・モボルニュ
『ブルーオーシャン戦略』(2004)p.20
日本で興る新しい産業や企業
は、「当初は、どうでもよいと思われ
無視されていたようなもの」が多い。
ソフトバンクもテレビゲーム会社も、
かつては既存勢力の目の届かない「ど
うでもよい企業」であったし、また携
帯コンテンツ・プロバイダーや、楽天
のようなEコマース、マンガやアニメ
もこれにあたる。
海部美知『パラダイス鎖国』(2008)p.88
「20%ルール」が設けられたの
は創業間もない頃だ。それは1週間に
1日、つまり社内で過ごす時間の20%
を上司などから与えられた業務以外の
プロジェクトに使えるというものだ。
元々はペイジの思いつきで、HPや3M
が採用していた同様のルールを参考
にしたものだ(3Mのヒット製品である
「ポストイット」の開発を可能にした
のは同社の「15%ルール」だったとい
われている)。実際には1週間フル稼働
で業務をこなした上に、「自発的プロ
ジェクト」が行われることが多かっ
た。これでは20%どころか「120%プ
ロジェクト」だというジョークが社内
に広まったほどだ。それでも彼らは積
極的に20%ルールに参加し、これらの
プロジェクトはグーグルニュースをは
じめとする重要な新サービスを生み出
すことになった。仕事と遊びが不可分
になるというグーグル特有のパラドッ
クスは、トイレを見ても明らかだった
。暖房機能を備えた日本製の温水洗浄
便座の操操パネルは、まるでスペース
シャトルを操縦できそうなほどのハイ
テク感と遊び心にあふれている。
スティーブン・レヴィ 『グーグル
ネット覇者の真実』
(2011)p.187-8
再帰的近代化とは、影響の及
ぶ範囲が広く、編み目の粗い、構造を
つねに変革する近代化であるが、いわ
ば「新種」としてお情けの好奇心を集
めるだけのものではない。この近代化
の近代化は、政治的にもまた最大限注
意を払う必要がある重要な現象である
。ひとつには、この再帰的近代化は、
社会全体に不安が際限なく深く浸透し
、またあらゆる領域で同じように派閥
闘争が際限なくつづくことを暗に意味
している。
ウルリッヒ・ベック
『再帰的近代化』(1994)p.14-5
まとまった資金のいらないお金
の稼ぎ方を、1500人もの対象者に数
年がかりで徹底リサーチし、そのエ
ッセンスを丁寧にマニュアル化した
のが本書なのです。対象者の主な条
件は、以下のようになっています。
1.初期資金は100ドル(1万円)~
1000ドル(10万ドル)
ß 2.年間の収益5万ドル(500万円)以上
3.資格や特別な技能は必要としない
4.ごく少人数(自分1人、もしくは友
人数人との場合がほとんど)
クリス・ギレボー
『1万円起業』(2012)p.3
小さな勝利
 新しいアイデア、戦略、あるいはプロジェクトの開発に、これまで紹介した方法を活用するようになると、組織心理学者のカール・ワイクが言う「小さな勝利」につながっていく。
 ワイクは小さな勝利を、「具体的かつ完成していて、実施済みのそこそこ重要な結果」と定義している。小さな勝利は、進行中の開発プロセスから生まれる小さな成功の数々であり、絶えずその成功を監視していることが重要である。クリス・ロックのジョークは爆笑の渦を呼ぶこともあるが、好意的反応は、声にならないクスクス笑いの合唱という形で現れることのほうが多い。これが小さな勝利である。なぜならロックはそのとき、うまいジョークの種になるテーマを見つけ、それを積み上げていけばよいと知っていたからだ。小さな勝利は、不確実性の中にある前進を助ける足場のようなものである。それは、サラス・サラスバティー教授がランドマークと呼ぶものの役目を担い、われわれが正しい方向に向かっていることを確認し、あるいは回転軸となって、われわれが道筋を変える方法を教えてくれる。
 ワイクがアメリカン・サイコロジスト誌の1984年1月号に発表して高い評価を得た「小さな勝利」を解説した論文(PDF)で、彼はアルコール依存症患者が1回に1日ずつ、あるいは1時間ずつでもアルコールを断つことが、禁酒にとっていかに有効であるかを例として使った。断酒期間をつなげていくことが、アルコール依存症患者が禁酒の効果を感じるのを助け、達成可能な感覚を高める。小さな勝利の利点を説明する際、ワイクがこう書いている。
「ひとつ小さな勝利を達成すると、もうひとつの小さな勝利を導く力が働き始める」
ピーター・シムズ『小さく賭けろ!』(2011)p.229-30
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