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中国人の農民観(老百姓)

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汚い場所はとことん汚く、田舎はとことん田舎
 現実の世界でも、中国の人は、「汚い」と「きれい」は割り切ってますね。
 日本に来ると中国人が何にびっくりするかというと、トイレです。公衆便所がきれいだってみんな驚くんです。
 中国のトイレは本当に汚いんですよ。壁に汚物がこびりついていたりするんです。中国人はトイレに対する民族的な怨念でもあるんじゃないだろうか、と勘ぐりたくなるくらいです。中国的な考え方では、トイレはもともと汚いところなんだから、汚くて当然という考え方がある。もともと汚いトイレを、わざわざきれいにする必要はない、と思っている。それで徹底して汚い。
加藤徹『中国人の腹のうち』(2011)p.42

中国の民主化と叶公好龙

もし、中国という龍が民主主義の衣装をまとって、世界に登場したとき、日本人は中国という龍を本当に好きになるだろうか。歓迎するだろうか。
 私は一中国人として民主中国の実現を切望する。しかし、民主主義は無限にすばらしいというわけではなく、マイナスの側面を持ち合わせるものであることもわかっている。
 わたしたちはとりあえずいまのままの共産党中国に、我慢していたほうがいいのだろうか、それともあくまでも民主中国を求めていったほうがいいのだろうか。
 正直言って、中国人である私も迷っているところだ。(趙 p.228)

広東省陸豊市東海街道烏坎村で発生した
事件のその後(2016)

庶民にとっての政治自由や政治権利なんて、どうせ数年間に一回くらい、投票できるレベルのことだろう。普通のサラリーマンは上司の独裁に忠実に従う奴隷にすぎない存在だし、マスコミなどの言論の自由といっても、そこは知識人の独壇場で、庶民は文章を書いても発表なんてどうせできやしないじゃないか、ということになる。(趙 p.219)

村役人が阿Qを喚びに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう真赤にして怒鳴った。
「阿Q! キサマは何とぬかした。お前が乃公の御本家か。たわけめ」
 阿Qは黙っていた。
 趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「出鱈目もいい加減にしろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか」
魯迅『阿Q正伝』(1922)
「謀反 面白いな……来たぞ来たぞ。一陣の白鉢巻、白兜、革命党は皆ダンビラをひっさげて鋼鉄の鞭、爆弾、大砲、菱形に尖った両刃の劒、鎖鎌。土穀祠の前を通り過ぎて『阿Q、一緒に来い』と叫んだ。そこで乃公は一緒に行く、この時未荘の村烏、一群の男女こそは、いかにも気の毒千万だぜ。『阿Q、命だけはどうぞお赦し下さいまし』誰が赦してやるもんか。まず第一に死ぬべき奴は小Dと趙太爺だ。その外秀才もある。偽毛唐もある。……残る奴ばらは何本ある? 王なんて奴は残してやるべき筋合の者だが、まあどうでもいいや……」 「品物は……すぐに入り込んで箱を開けるんだ。元宝、銀貨、モスリンの著物……秀才婦人の寝台をまずこの廟の中へ移して、そのほか錢家の卓と椅子。あるいは趙家の物でもいい。自分は懐ろ手して小Dなどは顎でつかい、おい、早くやれ。愚図々々するとぶんなぐるぞ」
魯迅『阿Q正伝』(1922)
親爺はしんみりときいた。「お前はほかに何か言うことがあるか」
 阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので「ありません」と答えた。
 そこで一人の長い著物を著た人は、一枚の紙と一本の筆を持って、阿Qの前に行き、彼の手の中に筆を挿し込もうとすると、阿Qは非常におったまげて魂も身に添わぬくらいに狼狽した。彼の手が筆と関係したのは今度が初めてで、どう持っていいか全くわからない。するとその人は一箇所を指して花押の書き方を教えた。
「わたし、……わたしは……字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで愧かしそうに、恐る恐る言った。
「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」
魯迅『阿Q正伝』(1922)

激流中国 第6回「密着 共産党地方幹部」
[2][3][4][5]

激流中国 第9回「上海から先生がやってきた
~貧困の村で~」[2][3][4][5]

「中国が世界で一番強い国になるまでは、お金は欲しいけど、民主主義は要らない」というのが本音の部分です。
 じつは、中国の知識人も本心としては民主化を望んでいないんです。
 中国人は、何をどう言い訳しようと、彼らの本音は、お金が欲しいということ。お金になると目の色を変える。だから、これだけ頑張って経済が成長しているんです。
『論語』にも「今吾、人に於けるや、その言を聴きてその行を観る」とあります。中国人が建前として何をしゃべっているかを聞くだけでなく、本音としてどんな行動をしているか、行ないを見極めねばなりません。もし中国の人民が本気で民主主義を望んでいれば、とっくに民主主義になっています。そうなっていないのは、中国の民衆も、心のどこかで民主化を望んでいないからです。中国の民主化運動家でノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏は、海外での人気は高いものの、中国の多数派から見れば、浮いている人です。
 なぜ中国人は本音では民主化を望まないのか。都会の豊かな中国人にとっては、下手に民主化して、もし日本みたいな国政選挙を行なったら、膨大な数の貧民の票を集めた田舎出身の議員が議会の多数派を占めて、田舎を豊かにするために上海や北京の富を田舎に配分する法律なんかを打ち出すかもしれない。そうしたら、都会の中国人は困る。(中略)現代でも、都会の実力者は富を手放したくないのが本音です。だから、内陸部の、地方の学校もろくにないからきちんとした教育も受けていない地方出身者が政権を握ったら、自分たちは大変なことになると思っているんです。
加藤徹『中国人の腹のうち』(2011)p.102-4
 今の20歳くらいの若者は、1989年の天安門事件を知りません。そもそも天安門事件について中国は報道をいっさいしませんから、知りようがありませんし、漠然とそういうことがあったと知っても、興味を示さないんです。共感よりは、「当時の学生はなんて馬鹿なことをしたんだ。政治運動でデモをしても何も変わらないのに」と思っているんです。今の若者は、民主主義を望むならアメリカに行けばいいと思っています。割り切っているんです。そういう意味では、中国共産党にとっては治めやすい世の中です。
加藤徹『中国人の腹のうち』(2011)p.178-9
 中国政府は、彼(劉暁波氏-管理者注)に対しても外国に逃亡する気なら、いつでも出て行ってほしいというのが本音でしょう。劉暁波氏は、それをよく知っているんで「自分を逮捕するなり死刑にするなり好きにしろ」と、嫌がらせで北京から動かないんです。中国政府の思惑を逆手にとり、「迫害されても拷問を受けても、死刑になっても餓死しそうになっても、自分と妻は北京に残り続ける」という態度を貫くことで、ノーベル平和賞を受賞したんです。頭がよい人ですよ。
 しかし、劉暁波氏以外、中国で民主主義が好きな人はおおむね、さっさと民主主義の国に出ていってしまう。気力と能力のある中国人が、率先して外国に移住する。だから何十年たっても、中国本土の民主化は進まないんです。
加藤徹『中国人の腹のうち』(2011)p.108

『光棍児 中国 結婚できない男たち』(2017)

※このページは、趙宏偉『膨張する中国 呑み込まれる日本』(2002)を参考にしました。
「」(趙 p.)と記載されている部分は、趙宏偉さんの個人的見解です。
p.は著書のページ数から引用したものです。

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