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黒人と日本人

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ジェニファー・エバーハート『無意識の
バイアス』(2020)[1]

パリ講和会議において日本は人種的差別
撤廃提案をした(1919)

『将軍』(1980)の戸田まり子の風呂のシーン

黒人の男性は東洋人の女性にかなり強い関心をもっている。黒人の間に出まわっているポルノ雑誌にセックスの対象として、東洋人女性が過大に宣伝されているらしいのだ。とくに日本人の女は風呂の中で男の背を流すのが当たり前のように受け止められていて、友達の弟に一緒に風呂に入るよう誘われたこともある。私が、
「そんな習慣は日本にはないわ」
と、言葉尻もきつく断ると、信じられないといった顔をされた。(岡田 p.106-7)

『将軍』(1980)の切腹シーン

私がイヴェットと暮らしている間に、テレビドラマの「将軍」が放映された。それをイヴェットと一緒に見ながら、私は怒ってばかりいた。
「首を切ったり、切腹したりばっかりしているけど、日本人はあんなに滅多やたらと、人を殺したり、自殺しているわけじゃないわ。外国向けにこういうシーンを多くしてるのよ。いやになるわね」
「日本人が、それほど殺し合いが好きじゃないって聞いてうれしいよ。それはきっと、白人が日本人にこういう風にやれって言ったんだよ。あいつらは、白人以外は野蛮だって思わせたいんだから」
 イヴェットのこうした意見を聞いて、私はうれしかった。お互いに非白人として、通じるところがあるのだった。
 その翌日、私は用があって以前のルームメイトである白人のエイミーのアパートに行かなくてはならなかった。そのために、「将軍」の第二夜はエイミーと共に見ることになった。
 日本人について間違った観念をもたれては大変とばかり、私はいちいちイヴェットに話すように、ここは違う、あそこは違うと、エイミーに説明しようとした。だが、エイミーの反応はイヴェットとはまったく違っていた。
「あら、これはちゃんと、日本人の専門家が時代考証をしたはずよ」
 たしかにある程度、時代考証をしたかもしれないが、もともとはアメリカ人が書いたフィクションの世界である。アメリカ人が解釈した日本を、アメリカ人の興味をひくように描いているにすぎないのだ。アメリカ人でありながら、主流派から異人としての扱いを受けた黒人には、自分たちの姿が歪められた経験が多いので、こうしたことがすぐ理解できる。だが、そんな体験のない白人は、異文化のアメリカ的解釈を、なんの疑念も抱かず受け入れてしまうのである。(岡田 p.169-70)

ダヴ『髪の美しさの基準は偏見の一形態です』
(ヘアサロン代に消える養育費)

ウェズリー・スナイプスさんは韓国系女性
と付き合っていると知られて、黒人女性たち
からさんざん叩かれた。数年後にその女性と
結婚した。それ以来、人気商売の黒人男優や
スターたちは、デート相手の人種にまで神経
を使うようになった

タイガー・ウッズさんの家族(黒人女性は
「白人女性と結婚するなんて、黒人男性として
最低」と言う。黒人男性はいつもあきれて
聞いている)

バラク・オバマさんの自伝

オバマ大統領は、ミシェル夫人という黒人女性が配偶者でなかったら、世間の黒人女性サポーターもあんなに熱狂的ではなかったであろう。
 白人女性の母親を持ち、白人の環境で教育を受け、白人が多い職場で生きてきたオバマが、白人女性と結婚していたら、「白人みたいな黒人」と逆に嫌う黒人女性が多かったはず。
 白人の環境で育ったブラックらしからぬ黒人男性だけど、「黒人の妻を選んだ」ということが、ポイント高いのである。黒人女性たちのプライドを、おおいにくすぐった。(高山 2011 p.235)

黒人男性に対する白人男性の警察官の態度

『ミシシッピー・バーニング』(1988)の
白人男性の警察官

『ゲット・アウト』(2017)の白人男性の
警察官

エレベーターの中の人種差別

白人らしく振る舞う黒人のことを、黒人たちはバカにするが、いろいろな文化や価値観がミックスされている地域では、多少なりとも社会に合わせて生きるのは、「白人のように振る舞う」こととは別である。
 黒人は、被害者意識が強いわりに、自分たちが社会からどのように見られているかということには鈍感である。
 黒人と接している白人たちは、内心イライラしながらも、決して公では怒ったりしない。
 レジは辛抱強く待ち(顔はこわばっているが)、公園では黒人の子どもたちに注意をせず、その場を静かに去る。
 なぜなら、黒人に対して白人が文句をいうと、「人種差別」と受け止められてしまうから。
 黒人にしてきた非人道的な過去に対して、差別主義者以外の白人は罪悪感を持っている。「黒人だから」ではなく、個人的な問題で「嫌い」なのに、黒人が相手だと率直な意見を言葉にできない。多くの白人たちの間にある、本音と建前。口には出せないので、ストレスは大きい。
 他方、「迷惑をかける黒人」のせいで、「黒人はみな社会的マナーもなく、うるさく、仕事も遅く、危険だ」と思われてしまう「そうでない黒人」たちの心境も複雑なのだ。
 黒人男性ならだれでも、歩道を歩いているときに、向こうからやってくる非黒人に避けられたことがあるだろう。エレベーターに乗ると、一緒に乗っている白人女性がバッグを盗られないように押さえたり、反対側に持ち替えるのに気付くだろう。スーツを着ていないときに手を上げると、タクシーが止まってくれない経験を何度もしているだろう。
 黒人コミュニティのなかでしか暮らしたことのない黒人たちは、非黒人にそんな態度を取られると「差別だ」「黒人ばかり悪く描くメディアのせいだ」と牙を剥く。
 だが、黒人コミュニティ以外で暮らす黒人たちは、多くの黒人たちが目立つほどマナーが悪いことも、嫌われる原因を黒人自らつくっていることにも気付く。だからこそ、自分たちは「危険ではない」「ルーズではない」黒人であることをアピールするし、コミュニケーションでそのギャップを埋めようとする。だから、社会から黒人だとひとくくりにされ、エレベーターのなかでバッグを押さえられたりすると悲しくなるのだ。それが自分と同じ黒人たちのせいだとしても。(高山 2012 p.134-6)

黒人教会と白人教会の違い

日曜日にソウルフードのレストランで夫と食事をしていたときのこと。そこでは教会帰りのたくさんの家族が団らんをしていた。
 派手なスーツやドレスでおめかししている彼らのなかで、ジーパンにTシャツ姿の黒人は、夫一人であった。
 まったく顔も知らない家族が、帰り際に私たちのところにやってきた。夫に向かって「今日は教会に行ったの?」と聞いた。「どうも行っていないようね」と言いたいわけである。
 彼らは、夫と私の顔を交互に見比べる。
 彼らが本当にとがめたいことは、黒人である夫が教会に行かないことではなく、「日曜日に教会に行きもしないで、非黒人女性とデートしている」ことである。
 さらに言いたいことは、教会に顔を出さないような堕落している黒人だから、非黒人と一緒にいるのだ、ということである。
 黒人コミュニティのなかでも、この教会人間たちは、さらにさらにかたよっている。
「黒人教会の人間ほど、恐ろしい人たちはいない」と、教会人間ファミリーのなかで育った夫や、今では教会に通わない彼の従兄弟たちは言う。(高山 2012 p.231-2)

『最凶女装計画』(2004)で、黒人男性は
ガールフレンドの黒人女性の美容院代を払うの
を嫌がる。しかし、黒人以外の女性と付き合っ
た黒人男性はガールフレンドが美容院に毎週
通わないことに気づく

『ジャングル・フィーバー』(1991)の
私はあなたを愛さないシーン

皮肉なことに、映画が公開された1991年以降、黒人男性たちの間では、イタリア系女性と付き合うことが流行になったのだ。
 また、イタリア系女性の間でも、黒人の彼氏を持つことがカッコいいこととなり、一時期この二者間のカップルがとても増えた。
 映画はときに、監督が予期せぬ方向で、大きな影響を及ぼす。

 ちなみに、黒人男性とわたしのようなアジア人女性の場合。
 黒人ファミリーにおいては、わたしが「黒人でない」ことにはガッカリしても、「白人でない」ことには安心する。
 嫌悪の対象の白人でもなく、だからといって内部者の黒人でもなく、その中間に位置するアジア人。
 双方の観察には、かなりお得な立場である。(高山 2011 p.85-6)

バラク・オバマが選挙で勝利した(2008)
(メイン会場にいた人たちは、99%白人だっ
た。老若男女の白人だった。広い広い会場で
あったが、わたしの目に入るところにいた黒
人は、夫の他にもうひとりの男性だけだった)

『リストラ・マン』(1999)の車の中のラップ
シーン(黒人音楽は好き、でも黒人は嫌い)

カニエ・ウエストのハリケーン・カトリーナ
災害の後の発言(2006)

ニューオーリンズのハリケーンカトリーナ災害の後、シカゴの黒人教会を訪れたときのことだ。
 そのときも牧師は、プライムタイムの生放送でブッシュ批判をした黒人ラッパー、カニエ・ウェストばりに「ジョージ・W・ブッシュは黒人たちになにもしない。見捨てている」と熱弁を振るい、「だから黒人は黒人たちで立ち上がらないといけない」と言って募金をすすめていた。
「黒人が自分たちで立ち上がらないといけない」ことは賛同するが、そこで「ブッシュ大統領が人種差別主義者だ」と教会で言う必要があるだろうか。
 ブッシュ大統領は好きではないが、このとき私は、黒人教会に疑問を覚えた。牧師の熱弁に、「Yeah, Yeah」と賛同しながら答える教会メンバーたちにも。「Racist」(人種差別主義者)という非常に強い言葉を、小さな子どももいる教会で言う必要があるだろうか。どんな場合であれ、どんな人物であれ、教会という場所で堂々と他者批判をすることに驚きを隠せなかった。
 牧師はニューオーリンズの話から発展させて、「黒人は社会から見捨てられている」「認められていない」と続ける。
 彼らはいつも内輪で文句を言う。内輪のなかで大騒ぎするが、その文句は相手に届いていない。ここでの大熱弁も、大賛同も、大きな怒りも、フラストレーションも、外には届かない。
 黒人コミュニティのなかでも黒人教会は、最も排他的な場所ではないだろうか。そこで、彼らはいっそう黒人のアイデンティティを確認する。(高山 2012 p.233-4)

レインシャドウ・コミュニティ・チャーター
・ハイスクール(ネバダ州リノ)

レインシャドウ・コミュニティ・チャーター
・ハイスクールで教師として働いた林壮一さん

「センセイは『ジャップ』って呼ばれた経験があるの?」
 カチがおもむろに口を開いた。
「今のところは無いね」
「差別の経験は?」
 今度はドリューが訊ねて来た。
「多少はあるよ」
「どんな?」
 こういう話になると、子供たちは身を乗り出して来る。
「一番酷かったのは、息子が生まれる直前に引っ越しをしたら、アパートのオーナーが犬の糞尿の匂いが消えない部屋を押し付けて来たことかな」
「それは、センセイが日本人だからなの?」
「だと思うね。日本人なんて、虫けらみたいに思っているんだろう」
「訴えたの?」
「赤ちゃんは、そんな部屋で生後を過ごしたの?」
「何度言っても部屋のカーペットを替えてくれないし、このオーナーが所有するアパートには他に空き部屋が無かったから、2週間で別の場所に引っ越したよ。訴えはしなかった」
「リノ市内?」
「うん。皆で一緒に行く公園の傍さ」
「酷い!!」(林 p.122-3)

ジョン・G・ラッセル『日本の大衆文化
における人種表象』(2011)

『子宝騒動』(1935)の小倉繁

『くもとちゅうりっぷ』(1943)

『飼育』(1961)の黒人兵
黒人の特徴「幼児的」「原始的」「性欲が
強い」「動物的」「機敏」「天性的なスポ
ーツマン」(ラッセル p.60)

丸八真綿『ファートン』(1983)

面白いことに、日本人男性は黒人男性と日本人女性の関係を問題としても、逆に日本人男性と白人女性との関係は問題にしませんね。男はだれと寝てもいいが、女にはそれを許さないという性差別が、かれらの根底にあるからでしょう。(中略)性差別と白人コンプレックスがダブってくると、ずっと前のマットレス・メーカーのCMのようになります。そのCMでは三船敏郎が「寝てみたい」と言うのですが、その対象がマットレスなのかそれとも一緒に映っている白人女性モデルなのか曖昧です。たぶん「白人女性と寝てみたい」という日本人の男の願望をくすぐっているのだと思います。(ラッセル p.162)

『ちびくろさんぼ』(19??)

『ワールド・レコード』のエンディング
『アニマトリックス』(2003)より

『ボブ・サップは動物園に行った』(2003)

マンダム『ギャツビー ペーパー洗顔』(2005)

『アフロサムライ』(2007)

イー・モバイル(2008)

黒人を猿にたとえたとして苦情が寄せられ放送中止になってしまう。(『発行禁止・放送禁止の真実』p.39)

マンダム『ギャツビー ヘアジャム、オサレ
星人篇』(2015)

宮本エリアナさんはミス・ユニバース2015
世界大会の日本代表に選出され、トップ10に
入賞した(2015)

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』
(2018)で、浜田雅功さんがエディー・マーフィ
さんに扮して、肌を黒くメイクした

日清食品(2019)大坂なおみさんが白人化
され描かれた

ナイキ『動かしつづける。自分を。未来を。』
(2020)

賛同する意見「本当かっこいい。これを当たり前にしなきゃいけないって思いました」「日本で人種差別問題にこんなにオープンにアプローチしたCMを見たのは初めて!」
反発する意見「日本人を悪者にするCM。一方的で悲しくなりました」

松下電器産業『トランジスタラジオクーガ
115 母の国の声』(1975)

カルビー『チーズビット』(1984)
黒人の子どもたちを虫のように描く。

コカ・コーラ『メロー イエロー』(1984)

サタデー・ナイト・ライブ『White Like
Me』(1984)

唯一の黒人の乗客がバスから降りたあと、陽気にジャズが流れるなか、白人たちはシャンパンを飲んで踊る。「だんだんわかってきた」と、白人の事務員から無料で新聞をもらったマーフィはナレーションで語る。「白人しかいないとき、連中はタダで、ものを与えあっているのだ」(マクビー p.67)

サントリー『ペンギンズバー』(198?)[2]

オリンパス『ピカソ』(198?)

『ロスト・イン・トランスレーション』
(2003)のLip my stockingsのシーン

ダイハツ工業『アトレー』(1986)

サンシャインシティ アルパ(1987)の顔を
黒く塗った非黒人の出演者2人

カネボウ食品『バブルフェイス』(1987)

松下電器産業『マックロード』(198?)の
シーラ・E

松下電器産業『マックロード』(1984)の
ジャネット・ジャクソン[1]

日本航空(1990)のジャネット・ジャクソン

デジタルツーカー(1995)のジャネット・
ジャクソン[1]

森永製菓『ハイチュウ』のウーピー・
ゴールドバーグ(1995)

ソニー『DoDeCaHORN』(1988)

タイの寝釈迦像(を想像させる仏像)がドデカホーンの音で目を覚ますといった内容にタイ政府が「仏教国タイの崇拝する信仰仏を商業広告に用いることは、敬虔な仏教徒の気持ちを侮辱するものだ」とクレームをつけたため、CMは打ち切られた。(参照)

アサヒビール『スタイルフリー』(2013)

スリランカ民主社会主義共和国の新聞などからのクレームで放送中止となった。(中略)実際のシーギリヤ(遺跡-管理者注)でパーティ風景を撮影したのではなく、あくまでスタジオ撮りの映像を、空撮映像に合成したもの。(『禁止』p.38)

<人種差別的だとして批判されたCM>

EU(2012)

白人至上主義的だとして、わずか数日で配信停止となった。(『禁止』p.39)

東芝『SuiPanDa』(2013)

チョーヤ『黒糖梅酒』(2011)

全日空(2014)

外国人をステレオタイプ化していて人種差別的だと批判された。(『禁止』p.39)

<ヨーロッパの企業によるアジア人(文化)
蔑視のため炎上>

ドルチェ&ガッバーナ(イタリア 2018)

ドルチェ&ガッバーナの謝罪

HORNBACH AG(ドイツ 2019)

フォルクスワーゲン『Golf 8』(ドイツ 2020)

レストランに「Petit Colon」(小さな植民地人)と書かれていた。(BBCニュース)

ワシントン・ウィザーズの八村塁は、彼と
彼の弟が人種差別を受けたことを
明らかにした(2021)

『クーンスキン』(1975)でスキャットマン
・クローザーズが歌う主題歌
(作詞: ラルフ・バクシ)

おれはミンストレルマンだ
おれは掃除夫だ
おれは貧乏人だ
おれは靴磨きだ
おれはニガーだ
踊るのをご覧あれ

おれは福祉の受け取りの列に並んでいる
おれは炭鉱労働者の列に並んでいる
石油掘削労働者の列に9歳の頃から
今は質屋の列に並んでいる

おれの心には悪魔が潜む
そいつだよ、見えるだろ
進め ニガー 進め

おれは生まれつきブラックフェイスだ
人種の一部なんだ

『クーンスキン』(1975)のミス・アメリカ

『Bamboozled』(2000)の中のCM
「ダ・ボム(発泡酒)」

『Bamboozled』(2000)の中のCM
「ティミー・ヒルニガー(ストリート
ファッションのブランド)

※このページは、岡田真紀『黒人の家族と暮らす』(1987)、古川博巳、古川哲史『日本人とアフリカ系アメリカ人』(2004)、
高山マミ『ブラック・カルチャー観察日記』(2011)、
『黒人コミュニティ、「被差別と憎悪と依存」の現在』(2012)、林壮一『アメリカ下層教育現場』(2008)、
ジョン・G・ラッセル『日本人の黒人観』(1991)、『発行禁止・放送禁止の真実(以下「禁止」と略記)』(2017)、
トーマス・ページ・マクビー『トランスジェンダーの私がボクサーになるまで』(2018)、
町山智浩『最も危険なアメリカ映画』(2016)、
ジョン・G・ラッセル『黒人の「日本人問題」』『現代思想 総特集 ブラック・ライヴズ・マター 10月臨時増刊号』所収(2020)を参考にしました。
「」(『禁止』p.)と記載されている部分は、『発行禁止・放送禁止の真実』(2017)から p.はページ数から引用したものです。

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