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女嫌い(ミソジニー)

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レディー・ファースト
アイスクリーム屋で並んでいると
「レディ・ファースト」と
パメラ・パース乱暴に割りこんでくる
お昼にケチャップ一人占め
「レディ・ファースト」と
パメラ・パース人押しのけてバスに乗る
それでいつもけんかになる
「レディ・ファースト」のパメラ・パース
ジャングル探検に出かけた時も
「レディ・ファースト」とパメラ・パース
自分が一番喉カラカラだと
水もみんな飲んじゃった
野蛮な土人に捕まって
みんな一緒に縛られて
大酋長の前に突き出され
-人食い人種のダルダバだよ
王座に坐って大きな前掛け
片手にフォーク舌鼓
どいつを先に食おうかと
吟味してると後ろから
キンキン声のパメラ・パース「レディー・ファースト!」
シェル・シルヴァスタイン『屋根裏の明かり』(1981)p.148
 私の感覚では、女性が人間としての地位を得たのは自分が生まれてずっと後の1970年代半ば、こうした男性の行為が深刻に受け止められるようになり、女性たちを押しとどめ、殺そうとする大きな力が法的な言語で語られるようになってからのことだ。職場での性的な脅迫は生死にかかわる問題ではないと言いたい人たちは思い出すといい。当時20歳だった海兵隊上等兵のマリア・ローターバックが上官にあたる男によって殺害されたことを。マリアは、彼にレイプされたと証言しようとしていたところだった。男の自宅の裏庭の焼却炉で、妊娠していた彼女の焼け焦げた遺体の一部が見つかった。
レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)p.14

人工妊娠中絶 反対派の
政治家トッド・エイキン

 ミズーリ州のトッド・エイキン下院議員が悪名高い発言をした。レイプされた女性に中絶措置は必要ない、という例のあれだ。「もしそれが法律上の強姦であれば、女性の身体は本能的に妊娠しないようとりはからうはずだ」と。あの選挙の頃は保守派の男性たちが、狂ったようなレイプ容認発言や、事実ですらない言葉を繰り返していた。他方フェミニストたちは、なぜフェミニズムが必要で、こういう男たちのどこが危険なのかについて語っていた。
レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)p.23

人工妊娠中絶 反対派の
政治家リチャード・マードック

上院議員候補リチャード・マードックの、レイプによる妊娠は「神の恩寵」だという主張があり、ほどなくして別の共和党の政治家による、(トッド-管理者注)エイキンのコメントを声高に擁護する発言が続いた。
 幸運なことに、5人のレイプ擁護派の共和党員たちは2012年の選挙戦ですべて敗北した。
レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)p.43
 2012年、アリゾナ州では、避妊したという理由で雇用主が女性を解雇することを認めることにつながる法案が提出された。この年、有望な大統領候補と見られていたミット・ロムニーは、女性に安価な医療を提供することを主な仕事としている非営利組織プランド・ペアレントフッドを廃止すると宣言した。
ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(2014)p.326
 2013年6月25日、テキサス州上院議員ウェンディ・デイヴィスは、食べものも飲みものも口にせず、休憩なしで、寄りかかるものもなく、トイレを利用するのも不可能な状態で、地続きのアメリカ合衆国で最大の州であるテキサス州で中絶手術を行っている42の医院のうち37の閉鎖につながる法案である上院法案五号の通過を阻止すべく、13時間近くに及ぶ議事妨害(フィリバスター)を行った。
ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(2014)p.309

エドナ・オブライエン『Life,Stories』[2][3][4]

 最近出た作家エドナ・オブライエンの回顧録には、いたって伝統的な結婚において彼女がたどった足跡についての、血も凍るような描写がいくつかある。最初の夫は妻の文壇での成功を苦々しく思い、金銭的援助を要求してきた。多額の映画化権料の小切手を切ることを拒んだら首を絞められた。だが警察に行っても碌に取り合ってくれなかった。おそろしいのは暴力だけでなく、虐待の加害者が被害者をコントロールし、罰を与える権利を持っているという前提であり、その権利を行使するためにやがては暴力を使うという手口だ。
レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)p.73
 2013年に、10年にわたって3人の女性を監禁し、拷問し、性的に虐待したかどで起訴されたオハイオ州クリーブランドのアリエル・カストロの事件は極端だが、実際はそれほど例外的でもない。ひとつには、訴えによればカストロは、亡くなった内縁の妻に対して、見世物かなにかのようにおおっぴらに暴力をふるっていた。カストロの行動の裏には、自分が絶対的な力を持ち、女性の方はまったく無力であるような状況をつくり出したいという欲望があった。だがそういう状況とは言ってみれば、伝統的な結婚を悪質にしたものにすぎないのではないか。
レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)p.73-4
女性は支離滅裂でヒステリックだと常日頃から言い立てる身ぶりそのものが、支離滅裂でヒステリックであることだ。連邦議会で民主党に対して避妊薬に保険を適用することの必要性を証言したサンドラ・フルークを「あばずれ」とか「売春婦」呼ばわりし、どうやら避妊薬がどう働くのかそもそもわかっていないらしいラッシュ・リンボーの方こそ、ヒステリックだと言われることが時にはあってもいいんじゃないか。
レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)p.128
 殺虫剤の危険性を説いた歴史的な著作『沈黙の春』を書いたレイチェル・カーソンも同じこと(支離滅裂でヒステリックである-管理者注)を言われた。カーソンは綿密なリサーチに基づいて膨大な脚注つきの本を書き、その議論は予言のようにのちの状況を言い当てていたと、いまでは考えられている。だが化学企業は彼女の言い分が気に入らず、女性であることは、いわば彼女のアキレス腱のようなものだった。
レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)p.128-9
 2012年10月に当時オーストラリアの首相だったジュリア・ギラードが、野党党首トニー・アボットの性差別主義的かつミソジニー的行動を非難して行なった、いわゆる「ミソジニー演説」について検討してみることにする。ギラードはアボットにたいして、政治の世界における性差別とミソジニーということならば、鏡に映った自分の姿を見てみたらどうかと訴えた。また、アボットの行動のいくつかについては、性差別的であるとだけ述べた。「仮定の話ですが、権威を行使したり、命令を発したりするのには、身体的にも気質的にも、男のほうが向いているとしたら、どうでしょうか」。これは、オーストラリアでは権力の座を占める女性が少ないことが議論になっている場面でのアボットの発言である。「総じて、男のほうが女よりも大きな権力をもっているのが事実だとして、それは悪いことなのでしょうか」。アボットは修辞疑問でそう続けた。炭素排出量に価格付けを行なうことの経済性について、女性有権者に向けたアボットの説明もギラードによって性差別的と評された(「オーストラリアの女性がアイロンがけしながら理解しなくてはならないのは」云々との発言にたいしてである)。最後に、厚生大臣在任時にアボットが人工妊娠中絶を「安易な抜け道」と呼んだことについて、ギラードは性差別的であると断じた。
ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(2017)p.121
 これがドナルド・トランプ印のミソジニーであり、多くの評論家が指摘するように、長年にわたって変わることなく目を引く、彼の特徴の一つである。トランプのお仕置きは、基本的に、セクシュアルハラスメント、性的暴行、小学生レベルの侮辱という形式(とくに彼にたてついたり、脅威を与える女性にたいして向けられる)を取ってきた。ミス・ユニバース優勝者の未成年飲酒事件をめぐってトランプが当該女性を弁護したことがあったが、ロージー・オドネルが(面白おかしく)彼の道徳的権威に疑義を差し挟むと、これにたいしてトランプは「ブタ」だの「イヌ」などと言ってオドネルを罵った。共和党予備選挙で大統領候補指名を争ったカーリー・フィオリナについて、彼女の容姿は大統領レベルにほど遠いと揶揄することすらあった。女性にたいする侮辱行為の数々について、その当時FOXニュースのキャスターのメーガン・ケリーから詰め寄られたさいには、あんたは目からだけじゃなく、他にも「どこかから(wherever)」血が流れ出ているんじゃないかと毒づき、舌足らずというやり方で女性性器をほのめかす新たな婉曲表現を生み出した。
ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(2017)p.127
 予備選中に瞬く間に悪名を轟かせることとなったインタビューで、トランプは、それまでほとんどの共和党員が遠回しにほのめかす程度にとどめてきた意見を(いくらかの躊躇の後に)認めてしまうという過ちを犯した。性と生殖にかんする権利(または、その否定)についての共和党独自の見解に照らすと、違法な人工妊娠中絶を求め、それを行う「女性にたいしては、何らかのかたちでの処罰があってしかるべきである」とトランプは述べたのである。
ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(2017)p.131
このインタビューの直後に、ある政治家が、異例の、そして私が思うに印象的な率直さをもって、次のように語った。

 トランプは共和党で最もとんでもない人物であるかもしれませんが、彼は党員すべての腹の中を言葉にしているにすぎません。彼らは、人工妊娠中絶を違法として、手術を受ける妊婦、そしてそれを行なう医師を処罰したいと考えています。トランプが何か罪を犯したとすれば、それは[共和党員の]考えを公にしたということにすぎません。

 この政治家とは、誰あろう、ヒラリー・クリントンである。引用文はニューヨーク州ブルックリンの選挙集会での彼女の発言である。
 クリントンは正しい。そうした主張をするのは得策ではないかもしれないが、議論の便宜上という理由で哲学者たちが容認しがちな、「これは純粋に倫理と宗教にかんする問いである」という逃げ口上とは対照的に、非常に重要である。
ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(2017)p.131-2
ヒムパシー
 2016年6月、20歳のスタンフォード大学生ブロック・ターナーが、22歳の女性にたいする性的暴行-キャンパスのパーティで知り合った彼女をゴミ捨て場に連れて行き、まるで「肉の塊」か何かのように扱ったとされる-の容疑で裁判にかけられた。(中略)
 スタンフォード大学事件に見られるヒムパシーの具体的形式は、性暴力の加害者男性にときに示される過剰なまでの同情である。現代のアメリカでは、その感情はしばしば白人の健常者、もしくは、スタンフォード大学の水泳奨学金の受賞者であるターナーのように特権的位置を占める「ゴールデンボーイ」へと向けられる。その結果、これらの男性に抗して証言を行なう女性を信じることへの躊躇、もしくは、ターナーの場合のように、その有罪が明確に証拠づけられている「ゴールデンボーイ」を罰することへの躊躇が生まれる。  否認主義の一つの理由として、レイプ犯についての間違った理解を挙げることができる。レイプ犯はぞっとするような薄気味の悪い、人間性の欠片も感じられない人物にちがいないと、私たちは考えがちである。「ブロック・ターナーはモンスターなんかではありません」。有罪判決はポリティカル・コレクトネスのせいだと考える彼の女友だちの一人は、手記の中でそう書いた。彼は「キャンプ場みたいな大学キャンパス環境」の犠牲者であり、飲酒による「判断の曇り」で「収拾が付かなく」なってしまっただけなのだ。彼の事件は「駐車場の自分の車に向かって歩いている途中の女性を拉致しレイプするような」のとはまるで違う。「そういうことをするのがレイプ犯です」と、ターナーの女友だちは続ける。「ブロックがそんな人間でないのは私がいちばんよく知っています」。
ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(2017)p.260,262
ロッカールーム・トーク
(中略)ドナルド・トランプがビリー・ブッシュにした内輪話の録音がリークされた件である。

 キレイな[女]には自動的に惹きつけられる。気がつけばキスしてる。磁石みたいなもんだ。キスだけだ。問答無用。有名人にはなすがままだ。なんだってやれる。(中略)プッシーをわしづかみだろうとなんだろうと。やり放題だ。

 これに加えて、似たような彼の「武勇談」がこの後メディア上を連日にぎわせたが、その結果トランプの選挙戦がつぶされることはなかった。このほんの一か月後、彼は大統領に選出された。
 なぜこの録音テープ(録音自体はさらに11年前にさかのぼる)はトランプにもっと大きなダメージを与えなかったのだろうか。
ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(2017)p.268-9
「すばらしい提案です、ミス・トリッグス。たぶんここにいる男性諸君の誰かが同じ提案をしたいはずです」
リアナ・ダンカン『ミス・トリッグス(パンチ)』(1988)
 専門家の話にしても、相手が女性だと人は耳を貸しません。少なくとも、自分の周囲だけに限定される、伝統的に女性のものとされる領域以外では。女性国会議員にとって、女性問題担当大臣(あるいは教育大臣や保健大臣)になることと、財務大臣になることでは雲泥の差があります。実際、英国では女性が財務大臣になったことはこれまで一度もありません。ほかにもあらゆる方面で、伝統的に男性のものとされる領域を女性が侵犯しようとすると、徹底的に抵抗されます。ネットボールの選手だったジャッキー・オートリーがBBCの名物サッカー番組『マッチ・オブ・ザ・デイ』初の女性コメンテーターとして起用されたときに受けた嫌がらせにしろ、普段はきわめて王道の"男性的な政治"問題が話し合われる番組『クエスチョン・タイム』に女性が出演すると決まって割り当てられる話題にしろ、その典型です。
メアリー・ビアード『舌を抜かれる女たち』(2017)p.39-40
米コメディ番組『サタデー・ナイト・ライヴ』で、女性コメディアン、メリッサ・マッカーシーによるホワイトハウス元報道官ショーン・スパイサーの物まねがあれほど受けたのは、女性と権力のあいだに大きな溝があるからこそでしょう。トランプ大統領は、自分の政権に対する数ある風刺の中でもこの物まねにとくに不快感を示したらしく、「大統領にごく近い筋の情報」によれば、彼は「自分の側近たちが弱々しく見える」のを好まないそうです。この言葉を読み解くと、自分の側近たちが、女性によって女性みたいにパロディ化されるのを好まないという意味です。弱さは女性性の属性なのです。
メアリー・ビアード
『舌を抜かれる女たち』(2017)p.61
不気味なお土産?
2016年アメリカ大統領選において、ドナルド・トランプの支持者たちは、敵陣営を揶揄したければ、古典的イメージの中にいくらでもモチーフがあった。中でも、ペルセウスとなったトランプがメドゥーサのヒラリー・クリントンの生首を掲げるイメージは印象的だった。
メアリー・ビアード
『舌を抜かれる女たち』(2017)p.82

※このページは、レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)、ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(2014)
、ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(2017)、メアリー・ビアード『舌を抜かれる女たち』(2017)、清田隆之『さよなら、俺たち』(2020)を参考にしました。

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