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フィリピンポップ

富士写真フイルム『フジカシングル-8
・私にも写せます』(1965)

「私にも写せます」何の変哲もないコピーです。白バックの前でタレントさんが語る、いわば生コマのノリです。
スポンサーの営業サイドからは「新製品にしてはCMにパワーがない」と多難なスタートでした。そんな環境の中で出稿を続けていただいた宣伝部の大英断。そして「関西弁でやってみたら……」と軽い調子でヒントをいただいた吉田課長。(伊奈忍 電通 秀作CF200 p.38)

資生堂『ビューティケイク 渚にて』(1967)

タレントは、マウイの波打際に、カメラは遠く離れたシェラトンホテルの最上階のレストランに。思い切った遠隔操作で、あのタッチは生まれた。(ニッテン・アルティ企画室 秀作CF200 p.38)

レナウン『蝶とギャングとイエイエ』(1968)

めぐまれた時代。そして時代を造った人たち。そこで創られたものは、自分のものから皆のものになり、そして歴史の1ページとして残されていく。心地よく過ぎ去った昭和に乾杯。(川上清 秀作CF200 p.40)

帝人『水着ピーターパン・リサーパン』(1969)

今でこそ、タヒチだのモルジブだのと、円高を嵩に着た海外渡航ブームだが、69年当時は1ドル360円だった。しかしCM界は、海外ロケブーム。梅雨時に売る水着商戦に、雨をシトシト降らせ、また海外ロケブームを逆手にとった作品。(ニッテン・アルティ企画室 秀作CF200 p.48)

松下電器産業『ナショナル洗濯機うず潮
余暇が権力を生む』(1969)

1969年といえば、まだまだ「家庭電化製品」が、主婦を家庭の労働から解放するものとして、もてはやされていた頃である。
そんな時代に、全自動で暇になり、肥大化していった主婦が、ついには権力を握り、亭主をペット化させてしまうというストーリーは、メーカーには、まだ許されるはずのない「自己批評」であった。
それを、当時の松下電器の竹馬実さんが、なぜか面白がって下さった。考えてみれば、クライアントも制作者もノンキで幸せな時代であったのだろう。(小田桐昭 電通 秀作CF200 p.50)

丸善石油『100ダッシュ オーッ猛烈!』(1969)

セクシャルCFのキッカケ。これ以降ヌードのCFがグーンとふえた。
パンチラが大当たり。
猛烈は時代を反映するコピー。
「行け行け!」の時代だった。
目立てば何でもいい時代。
小学生の遊びにも影響を与え、スカートめくりが流行するという社会的問題にまで発展した。(秀作CF100 p.124)

資生堂『オリーブ石鹸・シャボン姉妹』(1970)
(同シリーズに秋川リサと結城アンナの2人で
入浴するものがある)

18才のリサそっくりの妹を共演させる狙いだが、ちょっと前のオーディションで会ったユニークな女の子が頭に浮かんだ。
それがモデルになりたての15才の結城アンナ。始めは"そっくり姉妹"がそっくりアクションで鼻歌歌うコンテだったが、現場でいまいち面白くならない。待ち時間で妙にリサに対抗意識を燃やすアンナが面白く、よしっ"女のオフロ対決"に変えようとなった。あの2人が、今や立派な母親だとは、嗚呼!!(西川貴也 秀作CF200 p.59)

サッポロビール『男は黙ってサッポロ
ビール 海』(1970)

きわめて評判の高いCMとなったのですが、賞とは、まったく無縁ではありました。どうしてでしょうかネ。(今村昭 電通 秀作CF200 p.60)

トヨタ自動車『トヨタマークII きつね狩り』(1972)

英国貴族の伝統的なキツネ狩りがCFの設定。イングランド郊外に見立てた12月の早朝の富士の裾野に200本のスモークをたいてビーグル犬20匹を走らせ、それを4頭の馬で追いかける。やがて馬より素早くしなやかに野狐を追いつめるマークIIに出会う…。(荒井章 秀作CF200 p.67)

花王『ガードハロー 近頃気になることがある』(1974)

普通アニメーションの原画を描くとき、天才でない限り、下書きを描いて形を整えてから原画として採用するのだが、あの時は楽書きの要領で、描いたものは、何でも全て使おうという式でやった。(尾崎真吾 秀作CF200 p.85)

ハウス食品工業『ハウスシャンメン・
私、つくるひと』(1975)

企画にあたって、商品が子供達にどう受けとめられているかを調査する事にした。
その中で面白かったのは、「家では私がみんなにつくってあげる」という、小学4,5年生の女の子のお母さん現象・意見だった。じゃ、これを活かそうと、アンナとひろえちゃんが「つくるひと」、佐藤君が「食べるひと」になった次第。女の子の優しさを描いたつもりが、男女の役割限定等と話題になったり、オシャモジおばさんにお叱りを受けたり……やっぱり時代だったんですね。(西山貴也 秀作CF200 p.105)

カネボウ『夏のキャンペーン・ラクダ群団』
(1977)

我々制作者にとっても何よりも悲しいことは、若き生涯にピリオドを打った夏目雅子さん。「小さい頃から女優になりたかった」……意識もあって、チュニジアのあの灼熱の太陽がカラカラに乾ききったサハラ砂漠でのロケにも、常に明るい振る舞いと、スタッフの意図を心開いて受け止めてくれた。連日、苛酷の条件でもスタッフ以上に強い「輝き」を持った彼女は、大スターの素質を充分予感させるものだった。(小野田信経 秀作CF200 p.115)

キヤノン販売『AE-1 フットワーク』(1978)

ホテル・カリフォルニアやサンタモニカの風などの歌にのって、ウエストコーストがこのころのハヤリだった。ロスでCMの撮影をすることが多くなり、アメリカ人のスタッフたちもふえていった。その中に、リサ マリーという女優志望の衣装コーディネーターがいて、印象的だった。そして、キヤノンAE-1が、「カメラはフットワークだ」という表現コンセプトでCMを作ることになったとき、まず、彼女のイメージが浮かんだ。(高杉治朗 秀作CF200 p.125)

ミノルタカメラ『ミノルタX-7 いまの君は
ピカピカに光って』(1980)

一人の女子大学生の写真が"キャンパスの春"というタイトルで週刊誌の表紙を飾りました。それが宮崎美子さん(当時 熊本大学在学中)との出会いとなりました。(阪井光二 電通クリエーティブ制作局 秀作CF100 p.128)

朝日麦酒『ミニ樽3 ダメ、いま降りちゃ』
(1981)

レナウン『バサレット・カウボーイ』(1981)

ガンベルトはファッションの小道具の常識を越えて、(プラスティックなどでカラフルにつくる)より本格的なものを使った。ヒップが充実して美しくなった。映像的には、ガンの音でニワトリが舞い上がるとか、軽くヒップを叩いて注目させるとか、エンターテイメントの要素を若干いれた(女性にはどう思われただろうか?)。(橋本日出世 秀作CF200 p.150)

ワコール『シェイプパンツ・春のアップル
ヒップ』(1982)

"ガードルでもない、ショーツでもない、もう、これはシェイプパンツ"というコピーの通り、全く新しいジャンルの下着のCMです。テンポのある音楽に合わせて、おしりをどんどん見せていくこの行為は、外国の人から見ると、相手をとっても侮辱している意味らしいんです。でも商品は売れに売れて、CMの賞も沢山いただきました。
あのデヴィット バーンが日本に来た時、このCMを見て、ゲラゲラ笑ったという話をバニー ラッツから聞いて、複雑な気持ちでした。ギャグCMじゃないんですから……。(黒田明 秀作CF200 p.154)

サントリー『生ビール・ペンギン』(1982)

治朗さんのコンテは、美女がペンギンに囲まれてピンナップ風にポーズをとっている一枚の画だけでした。「楽しいCMを」、説明はこれだけです。サントリーの辰馬さんは「ウフッ」と笑いました。これでOKです。何と幸せな時代だったんでしょう。(後藤克海 秀作CF200 p.155)

日本国有鉄道『ナイスミディパス・行かせ
て下さい』(1983)[フルムーン]

あの頃、JRはまだ「国鉄」という名前で、僕もまだ駆け出しのCMプランナーでした。当時、同じ国鉄の「フルムーン」のCFがヒットしていて、負けるものか!と頑張って企画したのを思い出します。(中略)記者発表の翌日、NHK7時のニュースでオンエアされたり、その後テレビドラマ化されるなど反響も大きく、その点でも自分自身のなかで特に感慨深い仕事になっています。(安芸研一 読売広告社 秀作CF200 p.162)

アルマン『パイポ これでやめました』(1984)
[お正月バージョン][1993]

どこにもあるようなサラリーマンの話。
不倫時代のスライス オブ ライフ。
ネガティブ表現のキッカケ。
想像以上にヒットしたCM。(秀作CF100 p.100)

日本電信電話『通信促進 カエルコール』(1985)

単なるメッセージ(電話をもっとかけましょう)をアイデアでみせた。
その後、「電話くらい掛けなさい」と言われる亭主が増えた。
実生活を基盤とした、流行語のはしり。(秀作CF100 p.103)

日本損害保険協会『痣』(1985)

スウェーデンの雑誌に載っていた一枚の女性の写真をヒントにCFを考えました。出演の女性は残念ながらモデルですが、痣の再現には事実のデータをねり、充分に検討をいたしました。狙いどおり、シンプルで力強い広告がつくれたと思います。(奥山紘次 秀作CF200 p.175)

大日本除虫菊『金鳥ゴン 町内会』(1986)

時代性はシッカリ掴んでいる。だから流行語となった。
「亭主元気で、留守がいい」は、ウーマンパワーの究極。
水面下のネタやコトワザを取上げ、現代の生活を切り取って見せた。(秀作CF100 p.107)

ライオン『アクロン 懲りない父さん』(1987)
(同シリーズに娘が、父のマフラーを洗う
ものがある)

奥さんや娘に気を遣いながら生きている父親の哀感をマジでなくユーモラスに表現できればと……。撮影現場はいつも笑いの渦でした。(西山貴也 秀作CF200 p.199)

公共広告機構『ペット公害・猫』(1988)
[1分]

初on-airから6年経っても未だ時折流れていて、最後の声のない小猫の叫びがたまらない。あの猫はどうなりました? という問合わせもある。アメリカンショートヘアのこの猫の素晴らしく実在感のあるアイデアはすべてスタッフの皆様のお蔭で、私はただ猫を決めたのと、例えば、六本木の防衛庁の横の乃木神社へ抜ける秘密の小路をロケ地に提案したのみでした。(鈴木八朗 電通 秀作CF200 p.202)

ワコール『ワコールブラ 何曜日?』(1988)[2]

「月金」「花金」「土日」ブラ。
その時すでに世の中は「花木」の時代だったのですが、そうすると「月水」ブラ。まてよ「月水一日飛んで金」ブラ? これでは何のことか、作っている自分たちがわからない。(中略)一番売れた商品は「花金」ブラ。「月金」「土日」は説明がいらないけれど「花金」って何? 若い女性の好奇心はいつも勉強になります。(藤原利洋 第一企画 秀作CF200 p.204)