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郊外生活と対抗文化

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『マトリックス』(1999)の哲学

「マトリックスの哲学」については多くの本が書かれたが、たいてい間違いだ。この第一作を理解するには、主人公のネオが白ウサギと出会うシーンに目を凝らすことだ。ネオは友人に渡すものを本をくり抜いた中に隠している。本の背のタイトルが読める。ジャン・ボードリヤール著『シミュラークルとシミュレーション』だ。(ヒース、ポター p.10)

『マトリックス』(1999)のカウンター
カルチャーの分析

モーフィアスがマトリックスとは何かを説明するとき、カウンターカルチャーの分析を完璧に要約している。「マトリックスとは一つのシステムなんだよ、ネオ。そのシステムこそが私たちの敵だ。だが、そのなかにいるとき、あたりを見まわしたら何が見える? ビジネスマン、教師、弁護士、大工。そういう人々の精神こそ私たちが救おうとしているものだ。ただし、救い出すまでは、この人たちは依然としてシステムの一部であり、敵というわけだ。ほとんどの人はまだプラグを抜く準備ができていないことを理解しておかないといけない。彼らの多くはシステムに慣れきっていて、仕方なく隷属している。だからシステムを守るために戦うことになる」(ヒース、ポター p.13)

『カラー・オブ・ハート』(1998)と
1950年代の郊外

映画はこの町の核心である妥協を、1950年の世界を[当時のTVと同じように]白黒で描くことで表現している。現代から来たティーンたちが、住民に新しい考えや行動形態に触れさせることで必然的にこの町の平和と調和とを「汚染」してしまううち、世界に色が噴き出てくる。赤いバラ、緑色の車、色あざやかな絵画。この町の住民が一人また一人と頭のなかの檻から解放されるごとに、カラーに変わっていく。つまり、まさしく文字どおりに、どんよりした灰色の存在から自由になるのである。
 ここに、存分に発展した形のカウンターカルチャーの思想を見ることができる。人々が解放されるべきなのは、自分たちを抑圧している特定の階級からでも、貧困を押しつけてくる搾取のシステムからでもない。(ヒース、ポター p.39)

『カラー・オブ・ハート』(1998)と
古い社会構造の重要な美徳

母親を困らせていた、白人労働者グループにパンチをくらわすことで、デイヴィッドは色づいた。メッセージは明らかだ。性革命で達成された自由が大切である一方で、この社会は放任になりすぎたかもしれない。古い社会構造に見られる重要な美徳がある。(中略)デイヴィッドは、愛はすべてに打ち勝つわけではないことを知った-ときには信じることのために闘うことも必要だと。(ヒース、ポター p.67)

『ピンク・フロイド ザ・ウォール』
(1982)と肉挽き器

男子生徒の一人が厚かましくも授業中に詩を書いていたせいで、校長になぶられ、むち打たれていた。全校生徒を肉挽き器へぶちこめ! 創造性と想像力は何としても叩きつぶさねばならぬ。でないと、工場の操業がスムーズにいかないじゃないか?(ヒース、ポター p.191)

『アメリカン・ビューティー』(1999)と
カウンターカルチャー

どうして、奴らオカマはいつもしゃしゃり出てくるんだかな? あんなに恥も外聞もなく?
そこがカナメですよ、お父さん。あの人たちは何も恥ずべきことじゃないと思っているんですよ。
恥ずべきことだとも。
もちろん、お父さんのおっしゃるとおりです。
母さんに対するようにオレに取り入ろうとするんじゃないぞ、息子よ。
すいませんでした。無愛想に話してしまって。でも、奴らオカマを見ると、ゲーッと吐きたくなるんです。
オレもだ、息子よ。オレもだ。
アラン・ボール
『アメリカン・ビューティー』(1999)

郊外生活と中年の危機

おまえ、どこでそれを手に入れた?
仕事で。
俺に嘘をつくな。あの男といっしょにいるところを見たぞ。
僕を見てたんですか?
あの男はおまえに何をさせたんだ?
お父さん、まさか、本気で……僕とバーナムさんが、だなんて思っていないでしょうね?
俺のことを笑うな! 自分のひとり息子が野郎相手の淫売になるのをおめおめと見過ごしたりはしないぞ!
なんてことだ、お父さん、いったい……
神に誓って宣言する。おまえをこの家から追い出し、もう二度とおまえの顔は見ない。
本気なんですか?
ああ、本気だとも。オカマになられるぐらいなら、死んでくれたほうがましだ。
アラン・ボール
『アメリカン・ビューティー』(1999)
奥さんは?
ああ、うーんと……知らないね。
たぶん、どっかであの不動産ナントカ
のバカ王子と寝てんだろ。でね、いい
こと教えようか? 僕はどうでも
いいんだ。奥さんがほかの男といる
のに、気にもならないって?
ぜーんぜん。僕らの結婚生活は存在し
ないも同然だから。コマーシャル
さ、僕らがどんなにフツウかっていう
ためのね。で、本当はフツウからは
ほど遠いんだけどさ。
ふるえてるよ。
本当に、その服を脱いだほうがいい。
ああ。
大丈夫だよ。
僕は……
ただ、どうして欲しいか、
僕にいってくれ。
わ、た、た。悪いけど、何か勘違いし
ているよ。
アラン・ボール
『アメリカン・ビューティー』(1999)

名誉の文化(アメリカ南部)の実験

実験には、42人の北部人
と41人の南部人が参加した。実験の名
目は、判断における反応時間の制約の
効果を検証するというものであった。
実験の主要な説明を行った後、参加者
は短いデモグラフィック項目に記入を
求められ、そのアンケート用紙を長く
て狭い廊下の向こうにあるテーブルま
で持っていくように指示された。
 参加者が廊下を歩いていると、ちょ
うどサクラの実験協力者が「写真室」
と書かれた部屋から出てきて、廊下に
あるファイル棚のところで作業をし始
めていた。サクラは、テーブルにアン
ケートを置きに行く実験参加者を通す
ために、ファイルの引き出しを閉じな
ければならなかった。参加者は、アン
ケート用紙を置いた直後に実験室へ引
き返してくるのだが、その際、(再度
引き出しを開きかけていた)サクラは
、参加者が戻ってくることに気づいて
ファイルの引き出しをバシッと閉じ、
参加者に肩をぶつけた挙げ句、「くそ
ったれ」と罵声を浴びせた。そして、
写真室のなかに入っていった。---
結果
感情反応 ぶつかった直後に示した怒
りあるいは愉快な表情の程度に、北部
人と南部人の間で違いが見られた。観
察者の評定によると、ぶつかったこと
によって、南部人は北部人よりも愉快
な感情を示さず、むしろやや怒りの感
情を示した。
R.E.ニスベット、D.コーエン
『名誉と暴力』(1996)p.67-8,70
住んでるのが、ニューヨークだったら、違ったかもしれない。でも、ジョージア州じゃ、どうやってゲイになれるんだ? それでも、ここはアトランタの郊外だから、少しはマシかもしれない。でも、シェイディ・クリークは、進歩主義者のパラダイスってわけじゃない。学校にも、ひとりか二人、カミングアウトしてるやつがいるけど、面倒な目に合ってる。暴力を振るわれるとかじゃないけど、「ホモやろう」くらいの言葉はしょっちゅう耳にする。レズビアンとかバイセクシャルの女の子も何人かいるらしいけど、女の子の場合はまた話が別だ。たぶん、女の子のほうが楽なんじゃないかな。タンブラーで学んだことがあるとしたら、レズビアンの女の子はカッコいいって思ってるやつがたくさんいるってことだ。
ベッキー・アルバータリ『サイモンvs人類平等化計画』(2015)p.29

アメリカ映画と反逆者である主役の死

カウンターカルチャーの反逆者は長年にわたり、自らの文化的抵抗活動には政治的に重要な意味があると自分を納得させることに膨大なエネルギーを費やしてきた。『アメリカン・ビューティー』のレスターが死なないといけないのは決して偶然ではない。彼の行動は既存の秩序にとって深刻な脅威だから、絶対にやめさせなければならないとの信念を再確認する狙いがあった。実際、反逆者である主役の死は60年代の映画の主要なテーマだ。『俺たちに明日はない』から『イージー・ライダー』まで反乱分子は最後には鎮圧されることになる。たとえば『イージー・ライダー』では、二人のコカイン密輸犯のヒッピーがルイジアナ州をバイクで通っていくあいだに、結局は南部の白人労働者たちに殺されてしまう。ヒッピーのカウンターカルチャーと公民権運動との類似が意図的に示される。というのも、南部の白人労働者が殺してまわりたい相手とは誰か? イージー・ライダーも、フリーダム・ライダーも大差がない。要は自由ということ。そして二人のバイク乗りが体現したような自由-ドラッグ、長髪、天下の公道をぶっ飛ばす改造オートバイ-は体制にとって許しがたいことだ。「体制に特有の暴力」があらわになるのは時間の問題だ。またもや南部の白人労働者が抑制因子として機能する。
ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター『反逆の神話』(2004)p.75

カウンターカルチャーの反逆

映画の魔法によって、セックスをした大勢の思春期の白人男女が、公民権運動やファシズムとの闘争と同じ意義を持つ。さらによいことに、この子たちは不快なことにまったくかかわらないし、この成果をあげるために何も犠牲にしはしない。楽しむことが、究極の破壊活動というわけだ。これは映画『フットルース』の最後のダンスシーンから『マトリックス リローデッド』の悪名高い乱痴気パーティーのシーンまで、ポップカルチャーの首尾一貫したテーマだが、どう見ても希望的観測である。ビースティ・ボーイズが遠い昔、「(パーティーをする)権利のために闘え(You Gotta Fight for You Right [to Party])」という国歌っぽいタイトルの曲を吹きこんだとき、こうした手の内を暴いて見せた。しょせん、カウンターカルチャーの反逆なんて、そんなものなのかもしれない。
ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター『反逆の神話』(2004)p.76

『隣の影』(アイスランド 2017)

※このページは、ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター『反逆の神話』(2004)を参考にしました。

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