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『ルポ 保健室』

秋山千佳著(2016)

あなたは学校の保健室に行ったことがありますか。

僕はあります。小学生の頃に校庭を走っていた時に、右膝をコンクリートの地面にぶつけてしまい、出血してしまいました。すぐに保健室に行って、処置をしてもらいました。幸い1週間ほどで痛みはなくなりましたが、とても痛かったのを覚えています。

この本から学んだ点は、以下の3点です。
「性はグラデーション」になっている点
男子の保健室来室者が増えている点
そして、養護教諭はスクールカーストの下位に置かれている場合がある点
です。1つずつ見ていきましょう。

「性はグラデーション」
 特に力を入れているのが、「性はグラデーション」という話だという。
「この話は子どもたちにスッと入るみたいで、大人以上に納得してくれる。LGBTのこともよくわかるんですよ」と白澤さんは言う。
 かいつまんで説明すると、人間がどうやって自分の性になっていくのか、生まれる前の遺伝子の段階から追っていこうというものだ。生物の知識が必要な小難しい話のようだが、白澤さんが「男の子が男の子になるには、四つの関門をくぐるんだよ」と子どもたちに語りかけると、「えーっ」と興味津々になるのだそうだ。
 心と体の性のあり方が定まるのにとりわけ重要な働きをするのが、男性ホルモンと女性ホルモンだという。人間の一生をかけてスプーン1杯程度しか出ず、ほんのわずかなさじ加減で個性が左右される。さらに、男性でも女性ホルモンを、女性でも男性ホルモンを持っている。
「つまり100%の女性も、100%の男性もいない。ホルモンの出方が人それぞれの味になってるわけで、個性だからみんな違って色々なんだ。だから、性は男女の二つに分かれているものじゃなくてグラデーションなんだよ。そう話すと、子どもたちはすごく納得するんです」
 頭の柔らかいうちにこういう話を聞くと、性のグラデーションのなかにあるLGBTを「そういう子もいるんだな」と違和感なく受け入れられるのだという。
p.200-1

「増える? 男子の来室者」
 来室する子供の側の変化でいうと、私が保健室の取材を始めた2010年以降でも変わったと感じることがある。(中略)来室者に男子の「常連」が目立つようになったことだ。
 第1章に登場する3校でいうと、どの学校も女子より男子の割合が高かった。各校の養護教諭によると、この1~2年の傾向という。
 竹内和雄・兵庫県立大学准教授が2016年に実施した、関西の公立小中学校に勤める養護教諭166人へのアンケート結果を紹介したい。竹内准教授は元中学校教諭で、現在は大学で養護教諭の養成課程にも関わり、さらには現役の養護教諭たちの自主勉強会を主宰している。
 このアンケートで保健室来室者の男女比を尋ねたところ、小学校も中学校もほぼ半々(男子の割合が小学校50.9%、中学校49.0%)だった。竹内准教授はこの結果を見て、「数年前までなら考えられない」と驚いていた。
 私自身、取材前は女子が多くて当たり前、と思っていたし、実際取材を始めた2010年頃は、どこの保健室へ行っても、常連はほぼ女子。男子の姿を見かけても、その多くはケガの応急処置や急な体調不良といった単発の来室だった。例外は、一般的には非行少年と言われるような男子が、教室に居場所がないので保健室へやってくるくらいだったのだ。それが今や、第1章のとおり、保健室で気になる生徒というと男子が多くを占めるのだ。
 これは限られた地域の傾向なのだろうか、と第4章に登場した「川中島の保健室」の白澤章子さんに尋ねたところ、「いや、全国的な流れだと思いますよ」と返ってきた。
「今までは、本当は行きたくてもできなかったんだと思う。男の子でしょ、とずっと周りに言われてきて、女子のいる保健室なんかに行くべきじゃないとか、誰かに頼っちゃけないとかいうのがあったんでしょうね」
 時代の変化で「男らしさ」という抑圧が学校教育において薄れたのが、保健室にも反映されているのだ。
p.214-6

 私が取材したある学校では、「先生たちの中にランクがあります」と明言した養護教諭がいた。この学校では、養護教諭が生徒について意見することを露骨に嫌っている教師がいて、非常勤の立場のスクールカウンセラーを見下して絶対に話をしようとしない男性教師も数人ほどいたが、管理職がこんこんと説いてやっと是正してきたとのことだった。
 さらに別の学校では、職員数が増えた時に、職員室の養護教諭の机が当然のように取り上げられそうになったと聞いた。養護教諭が低く扱われる傾向について「闘うか黙っているかの違いはありますけど、感じたことのない養護教諭はいないと思います」との付言が重かった。
「スクールカースト」という言葉がある。本来は子どもたちの世界の力関係を表すものだが、これはまるで、教師版スクールカーストだ。
 現役の養護教諭であるすぎむらなおみ氏は、著書『養護教諭の社会学』で、「養護教諭が差別的な位置にある原因」として、次の五つを挙げている。
1.(筆者注:日常的には)教壇に立たない教員であること
2.職務内容が他者に理解されにくいこと
3.養成課程が統一されていないため学歴がまちまちであること
4.(筆者注:前身が学校看護婦で「病院」から「学校」への)「移民」であること
5.ほとんど女性であること
(中略)
 教師版スクールカーストのある学校で、教師が生徒に「いじめはいけない」などと指導したとしてもまるで説得力がない。子どもはこうした矛盾を見抜くものだし、大人の二枚舌のお手本を見せつけるだけだ。
 教師版スクールカーストは、もっともらしい顔つきをして蔓延している。
 2015年9月11日付の朝日新聞生活面に、「仕事量『雲泥の差』」と題した投書が掲載された。富山県の県立高校で教員をしている40代女性からのものだ。以下、引用する。「現場は授業や生徒指導、保護者対応、放課後の補習、土日の部活に追われ、昼休みがとれないこともしばしば。とりわけ入試の多様化で、論文や面接の指導が増え、教員全体で進路指導をしています。一方、こうした仕事がなく、勤務中にネットや趣味を楽しむ養護教員、図書館司書もいて、同じ職場でも仕事量は雲泥の差です」
 この教師は養護教諭の専門性を理解せず、仕事量を多数派の物差しである授業時間などで一緒くたに測っている。そのわりに「教員全体で」という表現からは、教員の一員である養護教諭を除外している。そして、ネット(趣味は何を指すのか不明なのでここでは置いておく)を楽しんでいるとして糾弾する。
 しかし、「楽しんでいる」というのは完全に主観だ。確かに養護教諭がネットを使うことはあるだろう。だがそれは、仕事上必要な情報を収集するためだったりする。
p.232-4