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『カサブランカ』とユダヤ人

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ブラザヴィルにはすでに1940年からドゴールの下へと兵士が集まってきており、ドゴールがフランス解放に向けての最初のメッセージを放送したのもブラザヴィルからであった。 リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.294
第二次世界大戦の勃発によって、行き場を失ったヨーロッパの人々の多くは、希望を託して、あるいは死に物狂いになって、アメリカの自由へと目を向けた。リスボンはアメリカへと向かう船の主要な乗船港となった。しかし、誰もがリスボンへ直接行けたわけではない。そこで、難民たちは苦しい迂回路をとることになった。まずパリからマルセイユへ。そして地中海を渡ってオランへ。そこから汽車か自動車か徒歩で、アフリカ大陸の突端部を越え、仏領モロッコのカサブランカへ。ここで運のよい人々は、金かコネクション、あるいは偶然によって出国ヴィザを手に入れ、リスボンへと急ぎ、そこから新世界へと向かうことができた。しかし、運に恵まれない人々はカサブランカで待って、待って、待ち暮らすのだった。 ハワード・コッチ『カサブランカ』(1942)
映画『カサブランカ』はその好例だろう。この映画の中では、誰もがひっきりなしに煙草を吸っている-ただし、女性を除いて。女性が実際に一服くゆらせているところが映し出されることは一度もないのである。この映画の冒頭のシーンのひとつで、混雑した「リックのカフェ・アメリカン」の中、あるエキストラの婦人が、サムがピアノを弾いている横に座り、火の点いた吸いかけの煙草を指の先に持っている。彼女は一服しようとするのだが、煙草を口に持っていく途中で腕を止め、にっこりと微笑む-まるで、何か急に別のことへと考えが向いたか、あるいはサムの弾くピアノに一瞬うっとりとしてしまったかのように。実際のところは、彼女は映画監督の指示に従って腕を止めたのだろう。1942年においてもなお、例の禁忌の力は根強く、ハリウッド映画は女性の喫煙シーンを撮ることができなかったのである。アンリ・ラルティーグの『煙草を手にした女たち』が引き起こした、ちょっとしたスキャンダルというものがいかばかりのものであったか、ここから推察できよう。
リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.276
 ル・シャンボン・スュール・リニョン村は、フランス中南部の高地にあり、周囲を岩山に囲まれている。この村の冬は長く、寒さも厳しい。  しかし第二次世界大戦中、この小村の人びとの心には、温かい春の風が吹いていた。彼らは、ナチの手を逃れてきた人びとを温かく迎え、居場所を与えた。逃げてきた人びとを、大人も子どもも、村の中や周りの農家で世話した。ギュールやリブサルトの収容所から連れ出されたユダヤ人の子どもたちをかくまい、援助を与えた。  子どもたちはこの村で学校に通い、地域の非ユダヤ人の子どもたちと机を並べて勉強した。綱引きで遊んだりもした。アドルフという名の豚も飼っていた。  ル・シャンボン・スュール・リニョン村の人びとは、ナチスに反抗しただけでなく、ビシーに置かれたフランス政府の政策にも抵抗した。  彼らの行動を一言で説明することはできない。それは将来の社会科学者に任せるしかないだろう。しかし、これだけは知っておかなければならない。この村の人たちは、愛の言語が理解できた。彼らは心が語りかけたとき、それに耳を傾け、そして行動した。 ピエール・ソバージュ「ル・シャンボン村の場合」キャロル・リトナー、サンドラ・マイヤーズ『思いやる勇気』(1986)p.175-6所収
この世界で、孤立主義はもはや現実的な政策ではないことを、いつあなたは分かるのか?
ハワード・コッチ『カサブランカ』(1942)
「カサブランカが1941年の12月なら、ニューヨークは何時だ」
「私の時計は止ってまして」
「きっとニューヨークではみんな眠ってるんだろうよ。アメリカ中が眠ってるのさ」
ハワード・コッチ『カサブランカ』(1942)
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他の証人によれば、ポーランド人はドイツ警察を手伝い、ユダヤ人を住まいから
追い出したり、庭の掩蔽壕や二重壁の後の隠れ場所を暴いたりしたのである。ドイツ側が探
索を終えた後でも、ポーランド人は午後いっぱい、ユダヤ人を個々別々に市場へ連れてくる
ことを止めなかった。ポーランド人はユダヤ人の家に押し入り、ユダヤ人が連れてゆかれる
や否や掠奪を始めたのである。彼らは射殺が終了してから、ユダヤ人の死体からも掠奪した
のである。(中略)
「ユダヤ人狩り(Judenjagd)」についての報告には、ユダヤ人の隠れ家や掩蔽壕はほとん
どポーランド人の「スパイ」、「情報提供者」、「森林管理人」、そして怒れる農民によっ
て暴露されたのだという事実が、いつも省かれたことはなかった。しかし、警官たちの言葉
の選び方をみると、そこには、ポーランド人の行動について単なる情報を伝えたというに留
まらないものが含まれている。警官たちはしばしば、「裏切り者」という言葉を、間違いな
く強い道徳的非難の意味を含ませて使っている。この点で最も明快なのは、グスタフ・ミヒ
ェルゾンであった。「私は当時、ポーランド人住民が、隠れていたユダヤ人を売り渡すのを
みてまったく当惑しました。ユダヤ人たちは、森や地下の掩蔽壕、またその他の隠れ家に非
常にうまく隠れていたので、もしポーランド市民が彼らを売り渡さなかったとしたら、決し
て発見されなかったでしょう。」
クリストファー・R・ブラウニング『増補 普通の人びと』(1992)p.252-4
この映画の中で最も胸が高鳴るシーンは、レジスタンスがナチスに対して象徴的な勝利を収める場面、つまりカフェの人々が歌い出した「ラ・マルセイエーズ」が、ナチの兵士が歌う「ラインの守り」の旋律をだんだんとかき消してシーンだ。
リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.295
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    Wikipedia:Flag of Free France
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ドゴールの聖人ぶった尊大さに対するルーズヴェルトの苛立ちがおよそどんなものであったか、またその尊大さ加減とはどういったものであったかを、映画の中でレジスタンスの指導者ラズロがリックに言う返事から読み取ることができる。リックは尋ねる。「時々、こうやって命を懸けるほどの価値があるものなのかってふと思わないのか? あんたがそのために闘っている大義ってやつがさ」。ラズロ/ドゴールはこう答える。「息をするのをやめれば、私たちは死にます。私たちが敵と闘うのをやめれば、世界が滅びるのです」
リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.292-3
カサブランカにおいてルーズヴェルトは、チャーチルの執拗な説得を聞き入れて、ドゴールに対して抱いていた疑念を打ち払い、ヴィシー政権の承認とジローへの支持を撤回する。アメリカ外交はドゴールの自由フランス支持へと転換したのだ-こうした流れは、この年の8月、アメリカがフランス国民解放委員会に全面的な支持を与えることで最高潮に達する。カサブランカでの決定が、ルーズヴェルトとドゴールを反ナチズムの闘いにおける確固たる盟友たらしめたのである。
リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.298
ドイツ軍がパリに入城してきたその日に恋に落ちるという、時機の悪さ。イングリッド/イルザがリックと連れ立ってパリを発つことができなかったあの日、リヨン駅の時計が指していた5時5分(原文ママ)前以来このかた、失われてしまった時間。そして、カサブランカでの再会の後、過ぎていった時間。 リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.306-7
サムはこの店の精神であり、この映画の感情的・美的中心でもある。彼の奏でる音楽は、物語の道徳的傾向を測る物差しとなり、またプロットの進行の実況解説としても機能している。ボガートが盗まれた通行許可証をピアノの中に隠す時、サムは「厄介事を抱えてる人は誰?」と歌っている。また、イルザが初めてリックのカフェに、別の男と腕を組んで入ってくる時、サムが弾いているのは「ラヴ・フォー・セール」だ。彼は過去を保管する者であり、時を逆向きに進ませる術を知っている。イングリッド/イルザがピアノの傍に腰を下ろすと、サムは言う。「またお目にかかることになろうとは思ってもみませんでしたよ、ミス・イルザ。いろんなことが流れるように過ぎてゆきました」。イルザはサムに「昔の歌」をひとつ弾いてくれるよう頼む。サムはとりあえず「アヴァロン」を弾いて彼女の気持ちを満足させようとするが、これは彼女が聴きたい曲ではない。「『時の過ぎゆくまま』をやって」。  しかし、サムの時計は止まったままである。カサブランカの他の誰もと同じように、サムもまた待って、待って、待ち暮らしているのである。アメリカがヴィシーに好意的な中立をとったまま態度を保留している間に、時が過ぎるにつれて貴重な時間が失われつつあるのだ。愛国の志士とは、合衆国と自由フランス軍との間に新たな盟約が結ばれるのをじれったく待ち望んでいる者のことなのである。 リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.307-8

<フランスの人工妊娠中絶観>

1943年6月、パリ。
マリー=ルイーズ・ジローは、数多くの堕胎手術を施したとがで、国家裁判所から死刑の判決をくだされた。40代の主婦マリーは、ひょんなことから望まない妊娠をして苦しんでいる隣人の堕胎に手を貸した。これが悲劇のはじまりだった。なぜ、彼女は堕胎で死刑になったのか-。
フランシス・スピネル『主婦マリーがしたこと』(1986)表紙裏

アメリカ映画における女性の喫煙

1927年、ジャック-アンリ・ラルティーグは、煙草を吸っている(あるいはカメラの前で吸うポーズをしている)有名無名の女性の写真を数ヶ月かけて95枚撮影し、『煙草を手にした女たち』という題の小さな写真集にまとめて出版した。(中略) ラルティーグは煙草を吸う女たちの「馬鹿馬鹿しさ」を不可解に思ったと認めているが、それにもかかわらず彼は面白がってもいる。不可解なものを前にしながらも、つい笑ってしまうというような場合、その笑いは、何か抑圧された可能性が回帰してくることが原因となっていると見て差し支えない。ここでのラルティーグの笑いは明らかに、彼が女性の自由を目のあたりにしたことが原因である。女性の喫煙を禁じる男性側の禁忌が、この自由を何世紀にもわたって禁止し、否認によって隠蔽し続けてきたのだが、その禁忌がここで写真家の要請により破られているのだ。女は煙草を吸うべきではない、ゆえに女はふつう煙草を吸わない、と男は言う。 リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)p.272-3

<中華人民共和国の人工妊娠中絶観>

香港のホラー映画『Dumplings』(2004)
における餃子

<日本の人工妊娠中絶観>

水子供養

『先生を流産させる会』(2011)

<アメリカの人工妊娠中絶観>

『ジュノ』(2007)における中絶クリニック

※このページは、リチャード・クライン『煙草は崇高である』(1993)を参考にしました。

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